400年前の姿を今日に残している浜松城の石垣。
    浜名湖で採取された珪岩を加工しないまま、面積を計算して積み上げている

    浜松城天守閣内の展望スペースからは、歴代城主が見たであろう浜松市街の情景を、全方向から望める。
    天井には歴代城主の家紋があしらわれ、出世城の軌跡を見られる

    家康が深く信仰した浜松八幡宮。市の中心地付近にありながら、緑あふれる森に鎮座する

    龍潭寺の庭園。井伊家の殿様は書院から庭園を挟んで見える御霊屋を遥拝したという。
    池泉鑑賞式庭園に築かれた石はまばらに配置されているため、遠近法によって御霊屋がより遠くに見える

    偉人の軌跡をめぐる旅

    徳川家康ゆかりの地
    浜松[ 静岡県 ]

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    日本が歩んできた歴史、偉業を成し遂げた先人の軌跡を訪ね、文化や伝統を知る旅企画。
    今回は、徳川家康が29歳から45歳までを過ごし、江戸幕府開幕への足掛かりとなった出世の街・浜松へ。
    400年前の天守曲輪の石垣が残る浜松城や、鬼門鎮守の守り神として家康が信仰した浜松八幡宮、徳川四天王の一人、井伊直政ゆかりの龍潭寺など、浜松で壮年時代を過ごした家康公の足跡をたどる。

    出世の街・浜松で徳川初代将軍・家康の軌跡をたどる

    戦国時代から経済の中心としてにぎわった静岡県浜松市。ここは徳川家康が29~45歳の17年間を過ごした街だ。家康ゆかりの地・浜松で、その出世の軌跡をたどろう。

    まずは浜松城へ。徳川15代の礎を築き、歴代城主の多くが江戸幕府の要職に登用されたことから「出世城」とも呼ばれる城である。天守閣は、浜松駅から車で10分ほどの浜松城公園内にある。城を目指すと、荒々しくも力強い野面のづら積みの石垣が現れ、圧倒される。ほぼ戦国時代そのままの姿で残る石垣は一見原始的に見えるが、実は非常に計算された造りだ。浜名湖北部で採取された珪岩けいがんを水路で運び、不規則な石の大きな面を外側に、小さな面を内側に向けて積み上げている。石と石の隙間には小石を埋めて固定し、そこから雨水が適度に排出される。400年前の姿を今日に残している頑強な理由はここにある。

    左/かつて浜松城の本丸があった場所には、若き日の家康像が立つ。浜松で過ごした青壮年期の姿でたたずむ
    右/浜松城の見どころの一つである石垣。荒々しくも頑強に積まれ、戦国時代そのままの姿を残す
    浜松城天守閣内の展望スペースからは、歴代城主が見たであろう浜松市街の情景を、全方向から望める。天井には歴代城主の家紋があしらわれ、出世城の軌跡を見られる

    1560年の桶狭間の戦いで活躍し、三河国を支配した家康は、1568年に遠江の引間城ひくまじょうを攻め入城した。武田信玄の侵攻に備えて遠州を見渡せる三方ケ原台地の東南端だ。

    引間城は「馬を引く」、つまり負け戦を連想させる縁起の悪いものだった。そこで名を浜松城に改め、城域の拡張と修復を行ったと伝わる。1570年のことである。

    石垣の上には、発掘調査と古絵図を基に2014年に復元された櫓門やぐらもんがそびえ立つ。戦国時代、この櫓は武器や食料を保管するだけでなく、籠城戦の際には敵を弓矢や鉄砲で迎え撃つ場所となっていたという。

    門をくぐると1958年に再建された復興天守閣にたどり着く。内部の資料館では、等身大の家康の3D肖像や縮尺600分の1で再現された城下町の復元模型などを見学できる。

    天守閣の最上階には、浜松市内をぐるりと眺望できる展望台がある。そこから目を凝らせば、北に三方ケ原古戦場、南に遠州灘、西に浜名湖、晴れた日には東に富士山が見える。若き日の家康も、ここから遠州を眺めていたのだろうか。

    風情ある日本庭園と鎮守の森に癒やされ徳川四天王ゆかりの寺を行く

    浜松城を囲むように広がる浜松城公園は、敷地面積約9.74ヘクタールを誇り、桜の名所として知られる。

    敷地内には四季折々の顔を見せる日本庭園がある。天守閣と作佐山さくざやまの谷間を利用して、深山みやま渓谷を表現した池泉ちせん回遊式庭園だ。昭和の名造園家である伊藤邦衛によって作庭された。庭園の中央には三段池があり、大滝おおたき小滝こたき滑滝なめりたきという3つの滝が流れる。滝を形作る石は浜松城の石垣と同じ珪岩だ。

    庭園内にはカワセミ、カモ、サギなどが生息する。季節ごとに表情を変える花や草木を眺め、鳥のさえずりや滝の音を聞いていると、日常とは違う世界にいるようだ。

    左/浜松城公園内の日本庭園。伝い落ちる滝の音には、ひととき心が落ち着く
    右/あえて斜めに架けた太鼓橋は敵が侵入しづらい。戦国時代の精神を表現している

    浜松城公園の近くには、家康ゆかりの浜松八幡宮がある。平安時代の武将で八幡太郎の異名を持つ源義家によって勧請かんじょうされ、多くの武家や庶民の崇敬を集めた。岡崎から浜松に居を移した家康は、浜松城の鬼門に位置するこの八幡宮を、武家の守護神、鬼門鎮護・開運招福・武運長久ぶうんちょうきゅうの神として篤く信仰した。徳川家代々の祈願所と定め、旗、弓、神馬を奉納し、将軍として江戸在府となってからも名代を遣わして参拝したという。

    家康が深く信仰した浜松八幡宮。市の中心地付近にありながら、緑あふれる森に鎮座する

    境内には巨樹がそびえる。樹齢は1000年を超え、樹高約15m、枝張り四方約25m、根回りは約15mという大きなクスノキだ。幹の下部には大きな空洞があり、三方ケ原の戦いに大敗した家康がここに身を潜めて難を逃れたとの伝説がある。家康が八幡神を拝するとクスノキから瑞雲ずいうんが立ち上り、神霊が老翁の姿となって白馬にまたがり、家康を浜松城へ導いたという。その故事から「雲立楠くもたちのくす」と呼ばれている。

    左・中/浜松八幡宮の境内に立つクスノキ。戦に敗れた家康が、雲立楠の空洞に逃げ込んだとの伝説がある
    右/境内末社の浜松稲荷神社では商売繁盛や事業繁栄を願う

    徳川ゆかりの地は、浜名湖の北東にもある。浜松八幡宮から北西へ20kmほど足を延ばすとたどり着く龍潭寺りょうたんじだ。徳川四天王の一人、井伊直政なおまさゆかりの古刹こさつである。

    733年、東大寺の大仏造立に尽力した行基によって創建されたと伝わる龍潭寺のたたずまいは、数々の歴史がつくり出す趣を感じさせる。山門をくぐると、季節を彩る多くの木々や草花に包まれた境内に、本堂をはじめ、庫裏くり、稲荷堂、開山堂、井伊家御霊屋おたまやなど江戸時代の建物が並ぶ。1742年建立の御霊屋には、井伊家千年40代の位牌が祀られている。徳川家臣の井伊直政は24代、幕末の大老・井伊直弼なおすけは36代に当たる。

    本堂は1676年に井伊家27代直興なおおきによって寄進された。本堂には遠州最大の大仏が、本堂中央の仏壇奥には知恵と福徳を授けるといわれるご本尊の秘仏・虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつが祀られている。うぐいす張りの廊下を行くと、鴨居に一刀彫の龍がたたずむ。江戸時代初期の人気彫刻職人、左甚五郎ひだりじんごろうの作品といわれている。

    左/龍潭寺内の廊下の鴨居には龍が。左甚五郎による一刀彫の作品
    中/本堂には遠州最大の大仏が祀られる
    右/吊り欄間に仕切られた整形六室の方丈造り。禅寺によく見られる手法である

    江戸時代初期に築かれた池泉鑑賞式庭園は、国指定名勝である。手がけたのは小堀遠州こぼりえんしゅうだ。遠州流の茶道を興し、二条城二の丸庭園の作庭などで知られる当代一の文化人である。

    本堂の観賞席に座って庭園を眺めると、不思議と心が落ち着く。禅寺にふさわしく、心字池を中心に自然の山水の景色を映し出す庭園には、中央に守護石、左右に仁王石、正面に礼拝石が配され、季節や時間帯で違う表情を見せる。

    家康が深く信仰した浜松八幡宮。市の中心地付近にありながら、緑あふれる森に鎮座する

    殿様着座の間である書院から庭園を西に眺め、向こう側に見える井伊家御霊屋を遥拝ようはいする。先人たちの歴史を感じる浜松には、心地よい旅時間が流れている。

    ちょっと寄り道

    1892年創業の老舗で
    「浜松のうなぎ」を食らう

    浜松の地に4代続くうなぎ専門店。背中を開いて素焼きにしたあと、蒸してから秘伝のタレをつけ、さらに焼く関東風。うな重をはじめ、うなぎ茶漬けやう巻も堪能できる。5~30人の会食も予約可能。

    ■うなぎ藤田 浜松店
    静岡県浜松市中央区小豆餅3-21-12
    http://www.unagifujita.com/

    うな重(山) 5,280円(税込み)

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