真田一族の本拠地を訪ねて
上田[ 長野県 ]
- 偉人の軌跡をめぐる旅
- 戦国時代
- 寺社仏閣
- 文化財
- 温泉
戦国の世を知力と戦略で生き抜いた真田昌幸は息子の信之、信繁(のちの幸村)と共に
簡素ながら守りの堅い上田城を築き徳川との2度にわたる戦いに勝利を収めた。
乱世を生き、現在の上田の街の原型をつくった真田一族の軌跡をたどる。
真田一族が、上田城を築き天下に名を轟かせた時代を想う
真田一族は、上田市北東部の真田地域を本拠地とする地方豪族だった。戦略に長けた名将として知られる真田
上田城は堀と
真田親子は1585年の第1次上田合戦、1600年の第2次上田合戦で、徳川の大軍を撃退した。以降、真田の名は日本中に轟き、英雄と称えられた。
関ヶ原の合戦で親子は敵味方に分かれて戦う。敗れた西軍についた昌幸と信繫は紀州へ配流となり、東軍についた信之は
次の城主である
東虎口櫓門をくぐった先には眞田神社がある。真田家を筆頭に歴代の上田藩主をまつる。のちに真田幸村と名乗る信繁は知将として人気だ。大坂の陣では豊臣軍の中心となって活躍した。参道では幸村が身に着けたとされる
緑が生い茂る高台には今もなお真田一族が暮らした面影が残る
眞田神社は元来、江戸中期以降の上田城主、松平家の先祖をまつる神社だった。1953年に歴代城主をまつる神社となり、1963年に眞田神社と改称した。上田城址を守護する神社として、上田城を築いた真田氏、上田城を復興した仙石氏も併せてまつるのが望ましいとの声が上がったのだ。
真田幸村は知略と武功から"
境内には大きな井戸がある。「真田井戸」と呼ばれる。井戸には抜け穴があり、城の北方に当たる
上田城跡公園から車で約20分の高台に、真田一族が上田城の築城前に暮らした真田氏館跡がある。昌幸の父である
居館は当時の形態がほぼ完全な形で保存されている。貴重な史跡として、1967年に長野県史跡に指定された。地元では
居館の横には松がそびえる。昌幸の兄である
上田市街地から車で約30分の場所に、別所温泉がある。標高570mの高地に位置し、400年の歴史を誇る信州最古の温泉地だ。別所温泉の泉質は、弱アルカリ性の単純硫黄温泉で、神経痛や筋肉痛の他、美肌効果も期待できるという。平安時代に書かれた『枕草子』では"美人の湯"と紹介されている。
共同浴場の外湯である
石湯の斜め向かいにある
上田に堅牢な城を築き、城下町をも整えた真田一族は、今もなお上田の地で多くの人を魅了する。
ちょっと寄り道
そばの風味をくるみの甘さが引き立てる
小諸そば400年の伝統を受け継ぐ手打ちそばレストラン。かみごたえが良く、こしと爽快感のあるそばを味わえる。丹念にすりつぶしたくるみを、そばつゆに加えて食す「くるみそば」が名物。並盛でも十分満足できるボリュームだ。
■信州蕎麦の草笛 上田お城前店
長野県上田市大手2-7-6
https://kusabue-uedaoshiromaeten.com/
この記事は、読者登録をすることで続きをご覧いただけます。
残り5文字 / 全文3380文字