織田信長の若き日の足跡をたどる
尾張[ 愛知県 ]
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室町時代後半から100年以上続いた戦乱の世に日本の天下統一をめぐり活躍した戦国三英傑の1人、織田信長は現在の愛知県に生まれた。
先陣を切り、若くして武将としての才能を開花させた信長の尾張での軌跡をたどる。
弱小の領主から尾張統一
全国平定へ向けてひた走る
戦となれば劣勢ながらも勇猛果敢に戦い勝利を収める。権力を拡大し型破りな発想で政治手腕も発揮する。
信長は1534年、
天下取りの出発点となったのは那古野城から北西7kmほどに位置する清洲城だ。現在の清洲城は、1989年に桃山時代の城をイメージして再建された模擬天守である。
複雑な権力争いの中、信長は主君であり清洲城の城主であった織田

右/1610年、清洲城は廃城となった。城下の住民や石垣、建物は名古屋城下に移された。清洲古城跡公園には移設前の石垣が復元されている
信長の運命を変え、日本の歴史を大きく動かした合戦が、清洲城時代に起きた
信長は清洲城から出陣し、武将から崇敬を集める
信長は大勝のお礼として、熱田神宮に
信長は今川氏の支配から解放された徳川家康と組み、勢力を拡大させていく。

右/清洲城正門の信長塀。信長が桶狭間の戦いに勝利したお礼に熱田神宮へ奉納した塀をモデルに造られた
信仰厚く、祭りを好んだ信長は
天下人への階段を駆け上がる
清洲城から西へ車で約40分の場所に津島神社がある。全国に3000社以上ある津島神社の総本社だ。540年に創建された。除疫・授福の神である牛頭天王を信仰する。かつては
信長は津島神社を氏神として仰ぎ、造営に協力した。神社への崇敬は豊臣家と徳川家へも受け継がれた。


1591年建立の楼門は、豪壮な
津島神社の近くには

右/津島神社の実質的な正門である楼門。豊臣秀吉の寄進とされる。国指定重要文化財だ
津島神社の大祭として、日本三大川祭りに数えられるのが尾張津島

右/点在する車河戸は、尾張津島天王祭で船の発着所となる

小牧山城は清洲城から北へ車で約20分に位置する。さらに北へ約20分行くと犬山城がある。信長の叔父・

右/上段の間は、主君が家臣に対面する場所だった。床が一段高い
天守は現存する最古であり国宝だ。丸みを帯びた弓なりの屋根が特徴の
城内は無駄を省いた簡素な造りだ。1階の"上段の間"は主君が家臣に対面する場所だった。他より一段高い位置に造られ、兵が移動する廊下"

右/天守の中央を装飾する唐破風、最上階の両側にあしらわれた華頭窓が犬山城の優美な外観を演出する
1565年、信長は犬山城を攻め落とした。家臣で乳兄弟の
ちょっと寄り道
伝統の田楽と菜飯の素朴な滋味
明治期から140年続く田楽専門店。数種類の八丁味噌をブレンドした秘伝の味噌ダレで、豆腐を香ばしく焼き上げる。豆腐は富山・新潟のエンレイや岐阜のフクユタカなど厳選された大豆で作られる。季節の葉の塩漬けを刻み入れた菜飯との相性が抜群だ。
■松野屋 犬山本店
愛知県犬山市犬山北首塚28-1
https://dengaku-matsunoya.com/

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