農家出身の経営コンサルタント
二宮尊徳を訪ねて
小田原[ 神奈川県 ]
- 二宮尊徳
- 報徳二宮神社
- 小田原城
- 尊徳記念館
薪を背負った少年の銅像で知られる二宮金次郎。
のちに農民から武士となって、二宮尊徳と名乗り
各地の農村振興に尽力した。
多種多様かつ画期的なアイデアを実行した経世家であり
後世にも大きな影響を与える尊徳の足跡を追った。
向学心と地道な努力が
着実に実を結ぶ

報徳二宮神社の大鳥居は、創建120周年事業として、2017年に約3年かけて建立された。樹齢300年の小田原産の大スギを御用材とし、崇高な雰囲気が漂う。大鳥居をくぐって参道を歩くと、



左下/尊徳は56歳のとき、幕臣になった。
右下/二宮尊徳翁立像。大人になって現場を指導する姿を表現する
尊徳は、幼少の頃から勤勉で向学心旺盛だった。1787年に現在の小田原市
13歳のとき、父が亡くなった。尊徳は、母と弟2人の一家4人の生計を立てた。早朝に山で柴を刈り、昼は農作業、夜は縄や
18歳でわが家に戻ると少しずつ田畑を買い戻し、荒地を耕していった。23歳で購入した田畑は元の所有面積に達し、家の立て直しを事実上成し遂げた。
尊徳は、財政と農村再建の専門家としての道をまい進し始める。財政難にあえぐ小田原藩家老の
34歳のときには、小田原藩の命により
1837年、天保の大

小田原城は難攻不落の城として有名だ。戦国時代には、総延長9kmに及ぶ城と城下町一帯を、堀と土塁で囲む

左下/二の丸の表門に当たる銅門。大扉に飾られた銅を用いた金具に由来する
右下/敷地内で見事な枝を広げるイヌマキ。樹齢520年以上とされる

農業はもとより土木建築から金融、文学まで幅広い教養と優れた才能を持つ尊徳は、無私の精神で農民の安寧に尽力した。小田原市内には、尊徳にまつわる逸話が数多く残る。
酒匂川の堤防に植栽された約400本のクロマツ並木は、尊徳が植えたとの伝説がある。13歳の尊徳が、子守で得た駄賃で200本の苗を購入して植えたという。やがて並木となり、大きく根を張ったクロマツは治水に役立った。防風林としても田畑を守ってきたという。

栢山地区には
長期的な視点で自然環境の保全と街づくりに関わり、貧困や飢餓問題の解決にも取り組んだ尊徳の姿勢は、現代のSDGsに合致する。
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