誇り高き幕末のリーダー・土方歳三を訪ねて
日野[ 東京都 ]
- 土方歳三
- 新選組
- 高幡不動尊
- 日野宿本陣
幕末の激動を駆け抜けた土方歳三は、日野の農家に生まれ育った。
新選組の副長として局長の近藤勇を支え、規律を重んじる精神と
冷徹な判断力から、小説では「鬼の副長」として描かれた。
文武を磨き上げ、武士になる夢に向かって突き進んだ土方の
故郷での足跡をたどる。
武士になりたい一心で
剣術の腕を磨く若き日々
高幡不動尊は土方の菩提寺だ。総門を入ってすぐの弁天池のほとりには、出陣姿が勇ましい
土方は1835年、現在の東京都日野市石田の豪農の家に10人きょうだいの末子として生まれた。出生前に父を、6歳で母を亡くし、家督を継いだ次兄夫婦に育てられる。少年時代はかなりやんちゃで「バラガキ」と呼ばれたとされる。触ると怪我をしてしまう、鋭い
土方は少年期から「武士になって名を馳せる」という夢を抱いていたという。高幡不動尊の境内も剣術の稽古場としてよく使ったとの話もある。
右/山内八十八ヶ所巡拝路をたどれば、八十八体の弘法大師像を巡拝できる
高幡不動尊の敷地は、隣接する山林を含めて約3万坪と広大だ。見どころも多い。
仁王門は、国指定重要文化財に指定されている。
境内に隣接する高幡山には遊歩道が整備され、森の中を散策できる。点在する八十八体の弘法大師像を順にめぐる「
不動堂は、仁王門同様、国指定重要文化財に指定されている。不動堂では
土方家は、高幡不動尊の特別な
左下/境内を進むと山門が現れる。江戸時代に大火で焼失したが再建され今に至る
右下/最奥部の大日堂内には、土方歳三の位牌と新選組隊士の大位牌が安置される
奥殿にまつられる
不動明王像はヒノキ材とカヤ材を使った
不動明王像が正統的な作風を示す一方、矜羯羅童子と制吒迦童子の両像はユーモラスなポーズが印象的だ。圧倒的な迫力、不動明王像と童子像との対比、歴史的な価値から、丈六不動三尊像は多くの参拝客の崇敬を集める。
不動明王像をまつる奥殿は、文化財や寺宝の展示室を併設する。展示物は不定期に入れ替わるが、土方直筆の手紙の他、交わりの深かった幕末名士の書軸など、貴重な資料を閲覧できる。
左下/高幡不動尊と新選組の関わりを紹介する展示室
右下/土方の旗印「
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