偉人の軌跡をめぐる旅

    浅野川には木造の歩行者専用橋が架かる。梅ノ橋と呼ばれる

    秋聲旧宅の書斎。東京都文京区に現存する部屋が忠実に再現されている

    浅野川沿いに古い町家が残る主計町の茶屋街

    1924年に完成し、国の登録有形文化財に指定された犀川大橋

    偉人の軌跡をめぐる旅

    金沢三文豪ゆかりの地を訪ねて
    金沢[ 石川県 ]

    • 徳田秋聲
    • 泉鏡花
    • 室生犀星
    • 浅野川
    • 犀川
    更新

    金沢は「文学のまち」と呼ばれる。
    多くの文人に愛され、作品の舞台として描かれてきた。
    明治時代の金沢に生まれた徳田秋聲、泉鏡花、室生犀星は
    地元では「金沢三文豪」として親しまれている。
    彼らが愛した金沢で、ゆかりの地を訪ねた。

    身近にあった茶屋街での体験が
    作品の世界を豊かに彩る

    金沢市街には、金沢城のある小立野こだつの台地を挟み、浅野川あさのがわ犀川さいがわが平行するように流れる。金沢三文豪はいずれもこの2つの川に縁が深い。

    3人のうち、最も早く生まれたのは徳田秋聲とくだしゅうせいだ。秋聲は1871年、浅野川近くの金沢市横山町よこやまちょうに没落士族の第6子として生まれた。少年時代は困窮を極めたという。加賀前田かがまえだ藩の藩校の流れをくむ第四高等中学校を中退して上京した秋聲は、小説家である尾崎紅葉おざきこうようの門下に入った。すでに紅葉に師事していた泉鏡花いずみきょうかの仲介があったと伝わる。

    浅野川には木造の歩行者専用橋が架かる。梅ノ橋と呼ばれる

    秋聲は浅野川周辺を転々と移り住んだ。徳田秋聲記念館は、浅野川に架かる歩行者専用橋、梅ノ橋のたもとに建つ。自筆原稿や愛用品の他、初版本も展示される。バラエティー豊かな装丁の展示本の中で、ひときわシンプルな『かび』『ただれ』『足迹あしあと』の初版本が目を引く。いずれも秋聲の代表作だ。とりわけ自身の結婚生活について描いた『黴』は、自然主義文学の金字塔といわれる。
    秋聲は、栄えある菊池寛きくちかん賞の記念すべき第1回受賞者だ。同賞は、菊池寛が秋聲ら先達の功績をたたえるために、年配の作家を対象に新設したという。

    上/代表作である『黴』『爛』『足迹』の初版本。潔いほどシンプルな装丁だ
    左下/秋聲が受賞した第1回菊池寛賞正賞であるオメガの懐中時計
    右下/愛用していたペーパーナイフと万年筆も展示されている

    秋聲は当時「東のくるわ」と呼ばれたひがし茶屋街をしばしば訪ねた。ひがし茶屋街の女性を丹念に描写した『挿話』は、秋聲が芸妓げいぎ屋を営む遠縁の女性宅に滞在した体験が基になっている。「女性を描かせれば神様」と称されるほど、女性に対する卓越した観察眼と描写力を見せたのも、幼少期から身近にあった、ひがし茶屋街での体験が影響したと考えられる。

    秋聲の自筆原稿(複製)。奔放な文字で書かれ、入念に手直しされている

    記念館には、秋聲の書斎を忠実に再現した部屋がある。秋聲は自身のことや庶民の暮らしを、客観的な視点を貫き丁寧な筆致で描いた。現代のドキュメント小説にも通じるリアリティーに迫る小説は、当時の市井しせいの人々の暮らしを正確に捉えた第一級の風俗資料としても興味深く読める。秋聲は小説家としてのストイックな姿勢を貫き、生涯に600余りの作品を残した。

    上/秋聲旧宅の書斎。東京都文京区に現存する部屋が忠実に再現されている
    左下/パネル展示は、秋聲の生涯を詳しく紹介する
    右下/徳田秋聲記念館は梅ノ橋のたもとにある。生家だった場所も近い
    ひがし茶屋街には、江戸時代末期から明治の茶屋様式の町家が並ぶ

    ひがし茶屋街は、浅野川の右岸、卯辰山うたつやまの裾野にある。金沢を代表する観光地の一つだ。江戸時代末期から明治にかけて建てられた茶屋様式の町家が軒を連ね、金沢の茶屋文化の風情を色濃く残す。

    茶屋建築の町家の中でも特徴的なのは、木虫籠きむすこと呼ばれる美しい出格子でごうしだ。建物の1階に取り付けられた木虫籠は、内側から外の様子は見えるが、外から建物の内部が見えにくい建築様式となっている。建物の2階が通りに少し張り出しているのも茶屋建築の特徴だ。
    ひがし茶屋街は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。保存地区内にある建造物は、140のうち約3分の2が伝統的建造物に当たる。秋聲が作品に描いた東の廓の面影は、今も色鮮やかに残る。

    木虫籠と呼ばれる出格子が独特の美しい街並みをつくる

    秋聲の誕生から2年後の1873年、泉鏡花は下新町しもしんちょうに生まれた。浅野川左岸の茶屋街、主計町かずえまちに隣接する場所だ。父は象嵌ぞうがんや彫金を手掛けるかざり職人、母は加賀藩お抱えの大鼓師おおつづみしの娘だった。
    鏡花は、秋聲と同じ小学校に通った。1つ下の学年だった。17歳で尾崎紅葉の小説を読み、小説家を志して上京する。18歳で紅葉に入門を許され、玄関番となった。翌年に文壇デビューすると気鋭の作家として頭角を現していった。
    鏡花の作品には、しばしば美しい女性像と母なき子が描かれる。9歳で失った母への憧憬しょうけいが投影されたと考えられている。

    上/浅野川沿いに古い町家が残る主計町の茶屋街
    左下/川沿いには散策コースがある。「鏡花のみち」と呼ばれる
    右下/主計町の茶屋街は、昔ながらの風情ある景色をつくる
    主計町には「暗がり坂」がある。旦那衆がここからこっそり茶屋へ足を運んだ

    主計町は、ひがし茶屋街、にし茶屋街と並び、金沢三茶屋街に数えられる。江戸時代、加賀藩士の富田主計とだかずえの屋敷があったのが町の名前の由来だ。浅野川に沿って、出格子に彩られた茶屋や料亭が並ぶ街並みは、ひがし茶屋街とはまた違った趣がある。
    鏡花のみちと名付けられた川沿いの道を歩くと、鏡花が青春時代を過ごした明治期にタイムスリップした感覚を味わえる。

    鏡花のみちから1本裏手に入ると、迷路のような路地になる。暗がり坂は、旦那衆が下新町から人目を忍んで主計町に行くために使われた道だ。鏡花には日常の通り道だった。
    鏡花は生涯で約300編の作品を生み出した。そのうち約50編が金沢を舞台に描かれている。出世作となった『義血侠血ぎけつきょうけつ』をはじめ、鏡花作品の多くに通底するのは、男女の悲恋をテーマにした妖艶な幻想世界だ。男女の色恋が絶えず繰り広げられてきた主計町という艶っぽい街の風情が強く反映されたと考えられる。

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