金沢三文豪ゆかりの地を訪ねて
金沢[ 石川県 ]
- 徳田秋聲
- 泉鏡花
- 室生犀星
- 浅野川
- 犀川
金沢は「文学のまち」と呼ばれる。
多くの文人に愛され、作品の舞台として描かれてきた。
明治時代の金沢に生まれた徳田秋聲、泉鏡花、室生犀星は
地元では「金沢三文豪」として親しまれている。
彼らが愛した金沢で、ゆかりの地を訪ねた。
身近にあった茶屋街での体験が
作品の世界を豊かに彩る
金沢市街には、金沢城のある
3人のうち、最も早く生まれたのは
秋聲は浅野川周辺を転々と移り住んだ。徳田秋聲記念館は、浅野川に架かる歩行者専用橋、梅ノ橋のたもとに建つ。自筆原稿や愛用品の他、初版本も展示される。バラエティー豊かな装丁の展示本の中で、ひときわシンプルな『
秋聲は、栄えある
左下/秋聲が受賞した第1回菊池寛賞正賞であるオメガの懐中時計
右下/愛用していたペーパーナイフと万年筆も展示されている
秋聲は当時「東の
記念館には、秋聲の書斎を忠実に再現した部屋がある。秋聲は自身のことや庶民の暮らしを、客観的な視点を貫き丁寧な筆致で描いた。現代のドキュメント小説にも通じるリアリティーに迫る小説は、当時の
左下/パネル展示は、秋聲の生涯を詳しく紹介する
右下/徳田秋聲記念館は梅ノ橋のたもとにある。生家だった場所も近い
ひがし茶屋街は、浅野川の右岸、
茶屋建築の町家の中でも特徴的なのは、
ひがし茶屋街は重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。保存地区内にある建造物は、140のうち約3分の2が伝統的建造物に当たる。秋聲が作品に描いた東の廓の面影は、今も色鮮やかに残る。
秋聲の誕生から2年後の1873年、泉鏡花は
鏡花は、秋聲と同じ小学校に通った。1つ下の学年だった。17歳で尾崎紅葉の小説を読み、小説家を志して上京する。18歳で紅葉に入門を許され、玄関番となった。翌年に文壇デビューすると気鋭の作家として頭角を現していった。
鏡花の作品には、しばしば美しい女性像と母なき子が描かれる。9歳で失った母への
左下/川沿いには散策コースがある。「鏡花のみち」と呼ばれる
右下/主計町の茶屋街は、昔ながらの風情ある景色をつくる
主計町は、ひがし茶屋街、にし茶屋街と並び、金沢三茶屋街に数えられる。江戸時代、加賀藩士の
鏡花のみちと名付けられた川沿いの道を歩くと、鏡花が青春時代を過ごした明治期にタイムスリップした感覚を味わえる。
鏡花のみちから1本裏手に入ると、迷路のような路地になる。暗がり坂は、旦那衆が下新町から人目を忍んで主計町に行くために使われた道だ。鏡花には日常の通り道だった。
鏡花は生涯で約300編の作品を生み出した。そのうち約50編が金沢を舞台に描かれている。出世作となった『
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