偉人の軌跡をめぐる旅

    熊楠が環境保全に尽力した神島を対岸から望む。無断上陸禁止の神秘の島だ

    滝見橋から山に入る散策路は、奇絶峡のハイライトだ

    一直線に並び立つ6棟の社殿は国の重要文化財だ。背後の山は熊楠の植物採集地だった

    南方熊楠邸の書斎。当時の仕事中の様子が再現されている

    偉人の軌跡をめぐる旅

    博物学の巨匠・南方熊楠を訪ねて
    南紀[ 和歌山県 ]

    • 南方熊楠
    • 神島
    • 奇絶峡
    • 鬪雞神社
    • 南方熊楠顕彰館
    更新

    博物学・民俗学の先駆的存在だった南方熊楠は
    人生の大半を南紀で過ごした。
    特に生物学者として、粘菌の研究で多大な功績を残す。
    南紀の自然保護にも尽力した熊楠は、学者だけでなく
    日本におけるエコロジストの先駆者としての一面も持つ。
    研究の姿勢を生涯貫いた熊楠の軌跡を訪ねた。

    学者として、エコロジストとして
    自然を守り、植物の研究に没頭する

    南方熊楠みなかたくまぐすは、1867年に和歌山市に生まれた。幼い頃から卓越した探究心と記憶力を発揮し、神童と呼ばれたという。7歳の頃には和漢の百科事典を書き写して自習し、幅広い知識を追い求めたとの逸話が残る。東京大学予備門を中退した1886年からの14年間は、米国と英国に留学した。博物学や民俗学を中心に研究し、数多くの論文を残す。
    帰国後は、和歌山県田辺たなべ町(現田辺市)に居を構えた。以降は生涯をかけて、南紀なんき各地での植物採集、整理記入、標本作りに没頭する。専門は現在の植物学に当たり、かつて隠花いんか植物と呼ばれた領域だ。花をつけずに胞子で繁殖するシダ類、苔類、菌類、藻類と粘菌ねんきん類(変形菌類)を指す。熊楠は粘菌研究の第一人者として知られ、4500種6000点にのぼる菌類・粘菌類の標本、図譜を作り上げた。

    熊楠は日本のエコロジストの先駆けとしても知られる。日本でいち早く「エコロジー(生態学)」の言葉を用い、現在の自然保護に通じる思想を提唱した。エコロジストとしての熊楠の活動を象徴する場所が、田辺湾にある神島かしまだ。

    熊楠が環境保全に尽力した神島を対岸から望む。無断上陸禁止の神秘の島だ
    鳥ノ巣泥岩岩脈は、干潮時には約1.5kmにわたって姿を現す

    神島に上陸した熊楠は、南紀の典型的な植生が残っていることに気付き、本来の森の姿を確認できる環境として保全すべく奔走した。"おやま"と"こやま"の2島から成り、島全体が神島神社の神社林として大切に守られてきた。
    熊楠の尽力により、1912年に神島は保安林に指定され、1929年には進講しんこうの地に選ばれた。進講とは、各分野の専門家が天皇や皇族に対し、特定の事柄について説明や講義を行うことをいう。1935年には国の天然記念物に指定された。現在、神島ではハカマカズラやキシュウスゲといった亜熱帯性植物が大きく成長し、多様な生き物を育む。

    神島は現在、環境保全のため無断上陸が禁止されている。対岸にある鳥ノ巣とりのす半島の鳥ノ巣泥岩岩脈とりのすでいがんがんみゃくから、森に覆われた美しい島の姿を遠望できる。泥岩岩脈とは、地殻変動により割れ目ができた地層に液状化した泥岩層が噴き出して固まった地層だ。国の天然記念物に指定されている。

    鳥ノ巣半島から北へ、高尾山方面に車を約20分走らせると、奇絶峡きぜつきょうにたどり着く。会津川あいづがわ上流に広がる峡谷だ。
    奇絶峡の散策路は見どころが多い。滝見橋を渡り進むと落差約23mの不動の滝が現れる。

    上/滝見橋から山に入る散策路は、奇絶峡のハイライトだ
    左下/渓谷を流れる会津川。流れは速く、巨岩や奇岩が点在する
    右下/不動の滝は、不動明王をまつるお堂の真横にダイナミックに落ちる
    磨崖三尊大石仏が、峡谷を見守るように巨大な断崖に刻まれる

    散策路を進むと、一枚岩に彫り込まれた磨崖三尊大石仏まがいさんぞんだいせきぶつの威容に驚く。高さ約16m、幅約22mの巨大岩だ。日本画家の堂本印象どうもといんしょうによる原画を基に1966年に刻まれ開眼した。

    熊楠は一時期、神社合祀ごうしの反対運動に没頭した。当時の明治政府は、国家神道を基盤に神社合祀政策を推進した。経費削減と財政基盤の安定を目的に、一町村一社を目指して神社を減らす政策だ。整理統合される神社の樹木や鎮守の森は、払い下げられ伐採されてしまう。熊楠は神社合祀の反対運動に奔走した。
    奇絶峡にも、水力発電所や道路の建設計画が持ち上がった。熊楠は奇絶峡を「美景は耶馬溪やばけいに優れること数等なる上珍植物多し」と評価し保全を呼びかけた。耶馬渓とは日本三大奇景に選定される大分県の美しい渓谷だ。熊楠の先見性に長けた助言により、奇絶峡には水力発電所や道路は建設されず、現在も景観が保全されている。

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