教育と持続的繁栄に注力した
会津藩を訪ねて
会津[ 福島県 ]
- 會津藩校日新館
- 鶴ヶ城
- 御薬園
- 会津塗
会津藩が持続的な繁栄を築けた背景には
歴代の名君による教育への投資と
領民の生活向上を願う政策があった。
日本最大級の藩校を擁し、農業と商業の発展を
着実に積み重ねた会津藩の歩みをたどる。
最高レベルの教育を
日本最大級の藩校で
会津藩には青少年の教育に力を入れる伝統があった。象徴的な場所が、会津若松市郊外にある
日新館は、初代藩主である
日新館は敷地面積約8000坪、建物面積約1500坪からなる。藩校としては日本最大級だ。会津藩士の子は10歳になると入学する。常時約1000人の生徒が文武を学んだと伝わる。
日新館の南門をくぐると、正門に当たる
戟門をはじめ建物の屋根には、霊獣である
左下/戟門には孔子を讃える言葉「金聲玉振」が掲げられている
右下/火よけや魔よけの霊獣である鬼龍子が建物を守る
右/大成殿にまつられる孔子。理想の人間の姿として崇められる
戟門をくぐると、正面に孔子をまつる
日新館の教育は日本トップレベルだったという。学問の基本は儒教の教えを体系化した朱子学だ。入学後、素読所で論語をはじめとする中国の古典を学び、成績優秀者は大学への進級を許された。大学では高名な儒学者の講義を受け、討論も行われた。大学を成績優秀で修了した者は、幕府直轄の教育機関への入学や全国遊学が許された。
武術は弓術、馬術、槍術、剣術を必須科目とし、砲術、柔術、居合術、水練の教育も施された。敷地内には、各種武道場や馬場、日本最古のプールとされる
左下/鉄砲による武芸も重要な科目だった
右下/水練水馬池は日本最古のプールと伝わる。甲冑を着けての水練だった
「ならぬことはならぬ」は会津の厳格な教育理念を示す。会津藩士の子弟が幼少時に教え込まれる基礎の心得「
什とは地区ごとに定められた子弟のグループを指す。6歳から9歳までの子弟が什に所属し、勉強も遊びも一緒に行った。什の掟は什のルールを明文化したものだ。武士にふさわしい人間となる振る舞いを幼少期から叩き込まれ、日新館で高度な教養と武芸を身に付けていた。
会津若松市街には、白壁に赤瓦が映える
鶴ヶ城の高石垣や天守台の石垣は、東日本トップクラスの高さを誇る。蒲生氏郷の時代に築かれた。天守閣地下1階の
赤瓦が葺かれた天守閣は、現在は鶴ヶ城だけだ。築城当時は黒瓦だったが、保科正之の命で、低温と積雪に耐えられるようにと鉄分を多く含む赤瓦が開発された。赤瓦は奥州一円に普及していったという。
右上/天守閣地下1階では、立派な野面積みの石垣を身近に観賞できる
左下/保科正之の命で開発された赤瓦。低温や積雪に耐久性がある
右下/天守閣内部は、会津の歴史をひもとく郷土博物館となっている
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