リーダーたちの羅針盤

創部からの精神
「一球入魂」で
社会に有益な
人材を育てる

早稲田大学野球部
小宮山 悟監督

日本プロ野球、メジャーリーグを経験し日米通算117勝を挙げた小宮山悟さん。母校早稲田大学野球部の監督として、 野球を通じて人材育成に取り組む。

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この記事のポイント

  • 野球を通じて人材育成に取り組む、早稲田大学野球部の小宮山監督
  • 学生でも社会人でも自律し、準備を怠らず努力することが大切
  • 選手にはできることのみ追及する。チームでの共有は指導者の役割

早稲田大学野球部OB会から監督就任の要請を受け託されたのは「低迷する野球部を立て直してほしい」でした。しかし特段、低迷というほどの成績ではなかった。そこで、自分なりにその意味を考えました。勝った負けたではなく早稲田大学野球部の姿が違う方向に行っているのを、本来の正しい姿に戻してほしいというメッセージと受け止めました。当時、私もOBとしてリーグ戦を何度か見に行っていて、確かに看過しがたい姿を感じていたからです。

早稲田大学野球部は1901年創部で、120年以上の歴史があります。普段の練習から一人ひとりがより上のレベルを目指し緊張感を持ってグラウンドに立ち、一球たりともおろそかにしない気構えで向かう。これが先輩方が追求し、脈々と受け継がれてきた早稲田の野球です。"今どき"の学生たちの志向と違うとしたら、こちらに染めないといけない。学生側に合わせる気はさらさらありませんでした。嫌ならもっと気楽なサークルに行って、野球を楽しんでもらえばよいわけです。早稲田大学野球部は野球を楽しむ場所ではなく、野球を通じて、社会に出たときに「さすが早稲田の野球部を出ている」といってもらえる学生を育てる場であり、それが監督としての私の仕事だと思っています。

信条は、「一球入魂」です。日本中に広まっている言葉ですが、もともとは、大正時代、草創期の早稲田大学野球部の監督をされ、学生野球の父と称される飛田穂洲とびたすいしゅう先生の教えです。目の前のボールに魂を込めて向き合う。その飛田先生の書は、今も寮の玄関に掲げており、我々が最も大切にする言葉です。その精神は、野球だけでなく、組織で仕事に向かうときにも通じるのではないでしょうか。苦しいときこそ、一つひとつ目の前のことに集中してやり遂げることが大切だと思います。

毎日もがいて努力し続ける積み重ねが、その人をつくっていくのだと思います。私も学生の頃は気付きませんでした。しかし、当時の仲間がこの年齢になって集まるとみんなが口をそろえて、確かにそうだよなと言い合っています。

2浪の20歳新人

東京都西東京市にある早稲田大学野球部の練習場、安部磯雄記念野球場(通称:安部球場)

私は早稲田大学野球部に入りたくて2浪の末に入部しました。20歳の新人ですから、ものの見方が斜に構えていました。浪人中はトレーニングらしいことはしていなかったので、入部してひたすら走る練習はきつかった。ようやくボールを握れたときはうれしかったですね。そのピッチングが、コーチ・監督の目に留まり、1年の秋に安部寮(1軍の中でもリーグ戦のレギュラー選手のみが入れる)に入寮しました。100人を超える学生の中でベンチ入りできるのは25人です。諸先輩を含め周囲からのプレッシャーはありましたが、野球部に入部したくて2年も時間をかけたわけですから、上級生に何か言われても、現実が自分が思っていたことと違っても割り切ってやっていました。いろいろ考えてしまうタイプであれば、うまくいかなかったかもしれません。幸い私は、レギュラーにふさわしい選手であるべく練習するのに夢中で、周りから何か言われても気にならなかったんです。

日本プロ野球では千葉ロッテ、横浜を経て、メジャーリーグへ行き、2003年ニューヨーク・メッツを退団して帰国しました。日本で現役続行のつもりでしたが球団からオファーがなかった。いわば就職浪人の状態のときに、大学時代の恩師・石井連藏監督へ報告に行ったら「時間があるならもう一度学び直せ」とアドバイスをいただき、スポーツ科学部の研究室の研究生として学び始めました。翌年、ボビー・バレンタイン監督が千葉ロッテの監督に復帰し、私も再びユニホームを着ることに。研究室の福永哲夫教授から「勉強も続けた方がいい」と言ってもらい、籍を置いたまま試合で投げ、3年間の科目履修の後にスポーツ科学研究科を受験。大学院生になり、現役を続けながら修士課程を修了しました。

当時は珍しがられましたが、興味のあることだったら知りたいと思うのは特別なことではない。時間のやりくりなどの大変さはあったものの、面白い時間で得られるものはたくさんありました。

努力こそ尊いとする教え

野球人として、また指導者として、大きな影響を受けたのは2人の監督です。1人は大学4年間、野球部で指導くださった石井監督。それはそれは厳しい監督で、学生野球においては努力こそ尊いとされていました。技術的には劣っていても、誰にも負けない必死さで努力していたら、下手でも何とかしてあげたい。それが早稲田の良さだと、石井監督が当時ボソボソとおっしゃっていたのを覚えています。学生時代に学んだことが今の私のよりどころとなっていますから、監督の教えを自分なりに解釈して、今、学生たちに向き合っています。

野球部は伝統的に来るものは拒まず、希望すれば誰でも入部できます。ですが教えをすぐに理解し実行できる才能のある学生ばかりではありません。何をやらせてもうまくなくても、泥臭く死に物狂いで練習しモチベーションを保ちながら続けている選手がいれば、どこかのタイミングでレギュラーの練習に入れて、彼の願いをかなえてあげたい。少しでもうまくなりたいと思って懸命に練習している姿は一目瞭然、見えますから。

逆に才能にあぐらをかく学生も大勢います。何とか早稲田大学野球部の理念にのっとって愚直に練習するようにと毎日悪戦苦闘しています。できる学生は自分に自信がある分いうことを聞かないし、頑張らなくてもできるから一定の練習量で完結してしまう。そういう学生には、「ここではすごいかもしれないけれど、ワンランク上のステージに行ったらその他大勢だよ」「才能があるんだからもっと頑張りなさい」と教え諭す。理解して言動を改められる素直な心を持つ学生は、やはり伸びますよね。

できることのみ求める

1901年に創部し、東京六大学リーグ46回の優勝(2023年秋季リーグ現在)を誇る伝統校を率いる小宮山監督

影響を受けたもう1人、野球の指揮官としての理想は、ボビー・バレンタイン監督です。ボビーとは監督と選手として、日米で8年間一緒に戦いました。ボビーの野球は、全員が同じ絵を描いて試合に臨む、同じユニホームを着るみんなが同じ熱量で挑むのを究極としていました。全てポジティブに考える人で、失敗するかもなどと全く考えず、持つ能力を発揮すればできると"魔法"をかけて戦った人です。結果度外視の野球で、当たり前のことしか要求しない、ただしできることに全力で取り組むことを求める。ボビーと一緒に過ごした時間は、貴重なものだったと思います。

野球で飯を食うプロと、アマチュアは違います。目標に向かって同じ熱量で努力することを求めるのは容易ではありません。まず徹底して伝えているのは、「できることを確実にこなせ、できもしないことをやろうとするな」、その一点です。誰でもホームランを打ちたいと思う。ですが状況を考えずにホームランを打とうとするような選手は、試合では使えません。自分がやれることを確実にこなす。できる範囲を努力で広げる。監督である私は、個々のこなせる能力を把握した上でメンバーを編成して試合に臨み、状況に応じてリクエストをする。持ち得る能力を最大限活用して、チームが勝つために今何をすべきかを考える。それを学生たちと共有する指導の仕方です。

見ることが仕事

150人以上(23年度は156人)もの選手がいて、どう教育するのかとよく聞かれます。伸びる可能性を見つけられるかどうかだけの話だと思います。私は見るのが仕事なので、昨日と今日を比べてどんな変化があるかを見ています。何か変化があれば小さなサインが送られているものなのです。例えば肩がちょっとおかしいなというときは、本当に無意識で必ず肩に手を置いたり回したりしますから、それを見ながら判断します。

選ばれた者しか試合に出られないのは、野球という競技に限らず、どの世界でも一緒。そこでレギュラーになろう、試合に出ようと思うのであれば、周りと同じことをやっているだけでは差が縮まるわけがない。本気で練習するかどうかなんです。誰が見ても愚直に真面目に必死でやる者は伸びる。周りがどうこうしなくても、自分で伸びていきますから、一貫して彼らに伝えているのは、「やるのは君だ」です。

チームのゴールを示す

学生に細かな指示は出しません。キャプテンの指名とゴールの提示だけします。私自身、4年のときに、石井監督から直接、ピッチャーで大変かもしれないがおまえがキャプテンをやれ、他の連中は俺が説得すると指名されたからです。キャプテンの適性は数字や経歴だけでは測れません。矢面に立つ強さがあるか、ひたむきに野球に向かう言動でチームを引っ張れるかなどを見定め、指名しています。

新チームの活動は、毎年最後の試合が終わった日から始まります。そのゴールとして1年後の秋季リーグ戦、早慶戦の最後の試合が完成形になるよう伝えています。リーグ戦で優勝すれば明治神宮野球大会がありますが、ご褒美みたいなものとして捉えています。早慶戦はリスペクトして対峙すべき特別なものですし、選手たちにとって早慶戦が早稲田のユニホームを着て戦える最後の試合になる。そこでベストゲームができるようにということです。

勝負ごとですから、全ての試合に勝てるわけではありませんが、早稲田らしい試合、戦いぶりはできるはずで、そこが一番重要だと思っています。だから学生たちには、できることをしっかりやりなさい、負けた試合でも、スタンドに来てくださった方、OB を含め早稲田を応援してくれている方々が納得する、よくやったって言ってもらえる戦いをしようと言っています。

準備を怠らず努力を続ける

個々の選手に対しては、「あなたの能力はこれくらいあると考えているから、その能力をしっかり発揮してほしい」ということは指揮官として伝えないといけない。それに対して受け止めた側が、「冗談じゃない、自分はもっとできる」と反応するくらいの学生は、かなり期待できますよね。現実には、そんなに期待されちゃっているんだと及び腰になる学生が多い。自分に自信がないのです。自信を持てるようにするにはどうしたらいいかといえば「数をこなす」「必死に練習するしかない」と、常に訴えています。

少なからず自分の目には自信があるので、見誤っているとは思っていないのですが、やはりこちらの期待が上回ってしまうことの方が多い。これは仕方がない。永遠の課題です。

そして、こちらの見方とは別に、本人がやれると思っていることは大事にしています。そこを否定してしまうと、大人でもきっと腐ってしまうでしょう。最初から、失敗をさせないようにする指導もあるとは思いますが、それでは監督の意図通りにコマを動かす野球になってしまう。大人である学生が、チームが勝つために何をすべきかということを考え、やれると挑んで失敗したら仕方がない。彼らはまだ学生で失敗が許される時期ですから。何が原因でそうなったのか失敗を糧として次につなげればよいのです。

恐らくビジネスの現場にも通じると思います。環境や状況の変化は事前に予期できるとは限りません。予測がつかない事態にも向き合っていくためには、いかに自らを律し、準備を怠らず努力し続けられるかだと思います。野球という競技は準備するタイミングが山ほどある。試合までの準備はもちろん、試合中も次のイニングに向けて、次の打席、次の一球に向けて準備が求められます。「準備を怠るな、一球入魂」と繰り返し言っています。

時代が変われば、学生気質も変わります。しかしいつの時代になろうとも、早稲田大学野球部の目指すべき姿は変わらない。それを理解できる学生が何人かいて、その人間がまた後世につなげればよい。10年、20年たったときに、早稲田の野球部はかくあるべきと語れる。そんな人間を育てたいと思っています。

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「学生でも社会人でも
自分を律し
準備を怠らず
努力することが大切」

小宮山 悟

1965年千葉県柏市生まれ。86年早稲田大学教育学部入学、90年卒業。卒業後は、ロッテオリオンズ(現:千葉ロッテマリーンズ)に入団。エースとして活躍し、97年には最優秀防御率を記録。横浜ベイスターズを経て、2002年にメジャーリーグへ移籍。バレンタイン監督率いる、ニューヨーク・メッツにて1年間プレーする。04年に再び千葉ロッテマリーンズへ復帰。09年楽天戦にて現役を引退。引退後は、野球評論家などを務める。19年に早稲田大学野球部第20代監督に就任。