リーダーたちの羅針盤
会社はみんなのもの
売り上げづくりより
人づくり
関ケ原製作所
矢橋 英明代表取締役社長
人を大事にして人づくりに注力すればいい製品やサービスが生まれ、企業も成長する。創業以来受け継がれるこの従業員第一の姿勢を矢橋英明社長は今日も貫き続ける。
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この記事のポイント
- 岐阜県関ケ原に本社を置くものづくり企業、関ケ原製作所の矢橋社長
- プロ経営者によって業績が拡大したが、多忙で社員が疲弊していく状況に
- 事業の成長よりも従業員の幸せを優先する経営に舵を切り、離職率は1.08%へ
関ケ原製作所は、岐阜県の関ケ原に本社を置くものづくりの会社です。
製品は油圧機器、商船機器、舶用特機、大型、鉄道機器、精密石材、軸受の7領域にわたります。いずれも超大型・超高精度な製品で、量産化が難しい"一品もの"ばかりです。クライアントからの細かい要望に応えるオーダーメードを強みとし、事業は従業員一人ひとりの高い技術力で成り立っています。
当社は社名の通り、1600年の関ヶ原の戦いの決戦地に隣接し、本社工場がある場所は、東軍と西軍それぞれの陣営のちょうど真ん中にあたります。本社の敷地面積は約15万m²、そのうち3分の2を緑地として整備しました。緑地は、春は桜、夏は新緑、秋はススキや紅葉、冬は雪景色が楽しめ、その中に抽象的なアート作品を200点以上展示しています。こうした環境で仕事をして創造力を養い、安らぎを感じてほしいという思いがあるからです。
敷地内には本社、工場のほか、社員食堂やホールが入っている"社員が輝く(Shine)場所"という意味を込めた「シャインズビル」や、ものづくり技術の研鑽と伝承を目的とした施設「匠道場」、研修施設「人間塾」、社外の人も利用できるレストラン「未来食堂」や「cafe mirai」などがあります。
会社は人間ひろば
これらの環境を整備した背景には、創業以来大切にする志や思いがあります。
創業者である私の祖父・矢橋五郎は、「会社はみんなのもの」という思いの下、1946年に関ケ原製作所(創業時の社名は「関ケ原産業」)をつくりました。2代目社長の矢橋昭三郎時代には、オイルショックやバブル崩壊の影響を受け深刻な経営危機に陥りましたが、従業員からの「こんな危機的状況下だからこそ、明るく楽しく仕事がしたい」との声をきっかけに、成長を促す人材育成や心を豊かにする文化活動に注力するようになりました。会社は従業員がお互いに学び、高め合える場所である。一人ひとりが主役となって生きがいや、やりがいを追求できる"ひろば"のような存在であるべきとの考えから、ありたい会社の姿を「人間ひろば」と名付けました。
2018年、私が6代目の社長に就任したとき、改めてこの人間ひろばを実践しようと考え、会社としての経営バランスを「ひろば51%、事業49%」と決め、事業の成長よりも従業員の幸せを優先することを明確にしました。
本社だけで約400人、関連会社や中国拠点を加えると560人ほどの会社ですが、新卒採用は毎年10~15人を確保し、離職率は1.08%と超低水準を維持しています。そのベースとなるのは、付加価値の高い製品の企画から設計、製造、アフターサービスまで一気通貫で手掛けることで実現している安定した経営。そして、風通しが良く、アットホームで互いに高め合える組織風土だと思います。
25%超の離職率
ただ、今日に至るまでには多くの苦労がありました。
私が関ケ原製作所に入ったのは30歳のとき。祖父の思いを受け継ぐ次期社長候補として、それまで勤めていた商社を辞めて入社し、現場を一通り経験した後に常務取締役に就任しました。
その頃、会社の業績は右肩上がりに拡大していました。売り上げが100億円の大台に乗るまでに成長すると、「これほどの企業規模になったら、このままオーナー経営を続けるのは関ケ原製作所の将来にとって良くない」と2代目社長は判断。社外からプロ経営者を招き入れることになったのです。私自身は、常務から平社員に戻って現場を回るという立場になりました。大学院でMBA(経営学修士)を取得した後、中国拠点の合弁会社「南通関ケ原機械製造」に駐在することになりました。
そんな経緯で行った中国で、私は衝撃的な状況を目の当たりにすることになります。日本にいるときには分からなかったのですが、そこは事業拡大・利益追求を絶対方針とする、人を道具のように考える組織でした。現地の中国人スタッフは、みんな朝から晩まで働かされて疲弊し切っていた。当然ながら退職者も非常に多く、離職率は25%を超えていました。
上に立つことは仕えること
創業社長である祖父の「会社はみんなのもの」という思いや、2代目社長の「人間ひろば」の考え方が体に染み付いていた私は、「これは会社とはいえない」と憤りを覚え、関ケ原製作所の理念を根付かせようと決意しました。自ら現地従業員の中に入り、毎日のように一緒に食事をして少しずつ信頼関係構築に努めました。時には自宅に招き、彼らの不安や不満を受け止め続けました。当時の中国では珍しかった運動会やバーベキューなど、イベントも積極的に行いました。そうやって"人を大切にする"を実践し続けると、会社の雰囲気が徐々に変わっていきました。
現地に5年半駐在する中で、合弁先と交渉して合弁も解消しました。関ケ原製作所の独資に切り替えると、なんと95%もの現地従業員が私について来てくれたのです。彼らが向こうの企業に行っていたら、間違いなく中国拠点はなくなっていたでしょう。彼らの気持ちがうれしくて涙が出る思いでした。現在は人を大切にし、互いに助け合う風土が確立され、離職率は1%程度にとどまっています。
創業者が掲げた信条の中に、「人の上に立つことは仕えることだ」というものがあります。経営者は常に謙虚さを忘れず、みんなの声に耳を傾け、すべてに学ぶべきだという姿勢を示したものですが、以前の私はこの言葉が腹落ちしていなかった。中国での経験を通して、上に立つ者こそ誰よりも謙虚な姿勢で、従業員に感謝し向き合い続けることが大切なのだと学びました。
一方、その頃の関ケ原製作所は、決して良い状況とは言えませんでした。プロ経営者の下、受注が増えて業績は急拡大したものの、生産体制が追い付かない。従業員総出で残業し、中途採用で人員を増やして急場をしのぐ状態でした。日々の業務に追われ疲弊していく従業員の姿を見て、2代目社長だった矢橋昭三郎は「このままではひろばが壊れる」と嘆いたそうです。
事業優先の体制を、何とかして元に戻したい。そこで、中国で「ひろば経営」を実現した私に声が掛かり、2015年に帰国して18年に社長に就任しました。
当初は日本に戻ることに対し、いろいろ思うこともありましたが、考えてみれば以前の私は、従業員に仕えることの大切さや、現場の声を真摯に受け止める重要性に気付けていませんでした。創業者の思いは理解していたつもりでも、前職の商社で鍛えられる過程で「事業優先・利益追求」の姿勢が染み付いたのだと思います。中国に渡った経験で、私の考えは大きく変わっていました。中国行きの判断を、今ではありがたく受け止めています。
何よりも従業員の幸せ
社長就任後は、原点回帰を明確に打ち出し、人づくりの強化、ひろば経営の徹底を明言。何より従業員の幸せを優先すると全従業員に伝えました。
事業経営を重視し、利益追求に振り切ったことで下がってしまった従業員満足度を再び高めるべく、最初に行ったのは従業員との対話です。1年以上かけて全従業員と面談を行い、会社への要望をくみ上げ、一つひとつ対応していきました。当時上がってきた要望は183 件。現在までに74%が対応済みであり、残りについても実現不可能なもの以外は取り組み中です。
また、人づくりを進めるため、学び舎活動、技術村活動、文化村活動という3つの活動に注力しています。
学び舎活動は、次世代リーダーを育成する社長塾、1人出向による武者修行、他社人材との切磋琢磨を含む各階層別研修などです。現在は創業家である私が社長を務めていますが、理念を承継できる人であれば誰でも社長になれる可能性があります。互いに鍛え合える環境、裁量権を持ち自分で考え行動できる環境など、次世代人材を育成する体制を整えています。
技術村活動では、22年に完成した「匠道場」を中心に、社内外の技能競技大会への参加や全員有資格者に向けた挑戦、ものづくりマイスターによる若手技術者の育成などを行っています。
文化村活動では、若手従業員が主体となって企画する全社イベント、カフェや食堂・美術館運営、ワークショップなどを行っています。
従業員の幸せがベースにないと、良い会社とはいえません。仕事にやりがいを持ち、働くことを幸せと感じている人がつくるものは、必ずやお客さまに評価されると確信しています。これら3つの活動を通して、従業員一人ひとりがやりがいに満ち、明るく楽しい空間で充実した仕事人生を送れる、そんな「人間ひろば」を実現したいと考えています。
次世代に理念と技術を承継する
創業から70余年がたった今、当社が目指すのは100年企業です。村活動などを通して技術はもちろん、志や思いの承継が進み、次世代リーダーが育ちつつあると感じます。
今の若い人たちは、出世したくない、人の上に立ちたくないという思いがとても強いと聞きますが、当社では「自分が社長や役員になって、関ケ原製作所の理念を承継したい」という思いを持った若手が多く、頼もしさを感じています。
道半ばではありますが、これからも従業員を第一に考え続け、より良い製品やサービスの開発を実現し、幅広い分野でお客さまに高い価値を提供すべく努力を続けています。
勇気を持って、任せる
労働力不足が深刻化する中、人材育成に課題感を持つ企業が多い。偉そうなことをいうつもりはありませんが、私は"任せない"ことが、人材育成を阻害する要因なのではないかと考えています。
中小企業に多く見られるのが、経営トップが1から10まで指示を出して、進捗や結果を逐一報告させるマネジメントです。不安な気持ちは理解できますが、それでは若手は育ちません。勇気を持って権限を委譲し任せてみれば、試行錯誤しながらも自ら考え、意思決定する能力が磨かれます。もちろん、その過程では失敗もたくさんあるでしょう。ですが、人は失敗を繰り返し、そこから学び成長していきます。前向きな挑戦による失敗は、どんどんさせるべきだと考えます。
この局面で経営トップに最も必要なのは我慢力です。トップは会社のことを一番よく理解しているだけに、目の前で悩む従業員がいるとつい助言したくなります。しかし、そこはぐっとこらえて"任せる"を徹底するように心掛けています。
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「会社とは、生きがい・
やりがいを追求できる
"ひろば"のような
存在であるべきだ」
矢橋 英明
1990年、東海大学工学部卒業。大学卒業後、商社に入社。その後、97年関ケ原製作所に入社。2009年から15年まで中国・南通関ケ原機械製造に勤務。帰国後、常務、副社長を経て18年社長に就任。
企業情報
- 社名
- 株式会社関ケ原製作所
- 事業内容
- 油圧機器製品 · 商船機器製品 · 舶用特機製品 · 大型製品 · 鉄道機器製品 · 精密石材製品 · 軸受製品の設計・開発、製造
- 本社所在地
- 岐阜県不破郡関ケ原町2067番地
- 代表者
- 矢橋英明
- 従業員数
- 393名(2023年5月末現在)
※日本国内のみ