リーダーたちの羅針盤

120年の歴史を途絶えさせない――
異業種出身の5代目が開拓するカバン市場

株式会社片岡商店
片岡 勧代表取締役

1988年広島市生まれ。筑波大学卒業後、人材系ベンチャー企業を経て重機械メーカーに入社し、経営企画、販促を担当。その後、東京で法人向けWebマーケティング事業を立ち上げ独立。2021年に家業である老舗カバン店の片岡商店に入社。現在は代表取締役として家業改革を進めつつ、広島と東京の二拠点生活を送る。

  • 事業承継
  • 不平等取引解消
  • 二拠点生活
  • スクールバッグ
  • 発想の転換
更新

この記事のポイント

  • 100年以上続くカバン店の承継を決め、不公平な取引をすべて見直す
  • スクールバッグ市場は少子化で縮小、技術を生かして新たな商品開発に取り組む
  • 東京でのイベントやSNSを駆使した話題づくりで新たな市場を開拓した

片岡商店は広島で100年以上の歴史を持つ老舗カバン店だ。5代目の継承者として2021年に入社した片岡勧 代表取締役は、それまでWebマーケターとして活躍していた。困難が予測された事業承継を決断したのは、「120年超もの歴史は金で買えない」という代え難き価値に対する思いだった。

片岡商店は1897年、明治30年に創業したカバン店です。日本一の国産カバン生産地として知られる兵庫県豊岡市から軍港として栄えていた広島に進出して創業、軍人用の柳行李(やなぎごうり)や旅行具製造販売会社として営業を始めました。

戦時体制下では軍服や軍靴など被服(しょう)の協力工場となりましたが、戦後にはカバン卸売店として再スタート。豊岡市のメーカーに生産委託して、当社は主に仕入れ販売を行ってきました。1980年代には実父である前社長の発案で、軽量なのに収納量が多く頑丈なナイロン製のスクールバッグを扱うようになり、それが大ヒットし、広島市内の学校に販路ができました。

常に頭の片隅に「家業」があった

家の長男として生まれ、実はこれまで「家業を継げ」とは言われませんでした。小さな頃からいずれそうなるのかなと察していたものの、真剣に考えたことはありませんでした。
高校卒業後は、母の「外の世界を見て視野を広げたほうが良い」という言葉を受け、実家から遠く離れた筑波大学に進学しました。

卒業後就職したのは、人材系のベンチャー企業です。主に中小企業に対して営業を行うため、たくさんの経営者と話せると思い選んだ会社でした。うっすらと家業を継ぐことが頭の片隅にあり、仕事を通じて経営者の視点を知れば将来に生かせると思ったからです。
しかし、急成長中のベンチャーでの営業業務は、想像を超えた激務で、心身共に消耗し切ってしまった。同期が次々と辞める中、自分自身も限界を感じ、1年ほどで退職を選びました。

次に入社したのは、重機械メーカーです。無形商材よりも有形商材に携わり、腰を据えて働きたいと考えたからです。この会社では経営企画や販促を担当しました。若手社員でも意見やアイデアを言いやすく、任せてくれる体制でやりがいは大きかった。仕事を通じて計数管理をはじめ数字の大切さも理解し、多くの学びを得られました。

入社して6年ほどたって、人事異動でマイクロマネジメント型の上司の下で働くことになりました。次第に細かく行動が管理され、意見が通らずアイデアも生かせなくなってきました。ここに居続けても、これ以上の成長はできないと思うようになり、いったん空白の期間をつくろうと2016年に会社を辞めました。

実は辞める前年ごろから個人でブログを始めて、一定数の読者を獲得していました。ブロガーはサーバーの構築から記事の企画・執筆、分析すべてを一人で行います。どうすればアクセス数が増えるか、勘所がつかめるようになった。この知識や経験をうまく仕事につなげられないか試行錯誤する中、Webマーケティング事業を立ち上げました。妻の実家が経営する会社のホームページをリニューアルしたところ、アクセス数が急増。その成功体験を基に知り合いづてに仕事を増やし、企業のWebサイトのコンテンツマーケティングで生計を立てられるようになりました。

父からの「1本の電話」が転機に

整理整頓を進める中で、父の作業場だけは「聖域」として手を入れられていない

転機になったのは、父から受けた1本の電話でした。
「約20年にもなる取引先からの引き合いを断った」と父から聞いたのです。両親共に高齢となり、少し前から将来、事業をどうするか私も交え議論するようになり、廃業や事業譲渡などの話も挙がっていた。いよいよ来たか......という気持ちでした。
2020年の冬、コロナ禍でしたので弟も交えて家族全員でリモート会議を行い、事業承継の可能性を皆で考え抜きました。最終的に、私が継がなければ、廃業しかないとの結論に至りました。

家業を継ぐことがいざ目の前に迫ると葛藤が生じました。子どもの頃から両親が働く姿は見てきたものの、家業がどのような状態にあるのかも分からない。すでに結婚して子どもも生まれ、しかも東京に居を構えている。妻も仕事を持っていたため、離れて暮らさざるを得ない。懸念事項が続々と出てきました。

ただ、スクールバッグは斜陽産業ではあるものの、アイデアを生かして新しい切り口を取り入れたら何か面白いことができるかもしれない、とも思いました。創業120年という歴史はお金では買えない価値です。自分の目の前で途絶えさせたらご先祖に申し訳がない。頑張ってみて失敗したら仕方がない。ダメ元でチャレンジしてみようと、腹をくくりました。東京と広島の二拠点生活が始まりました。

2021年に家業である片岡商店に入社するその前に、3カ月間、取引先の製造現場で働かせてもらいました。片岡商店は企画と販売を行い、製造は工場にお任せしていますが、家業を理解し今後の事業展開を考えるには、製造現場を体験しておいたほうが良いと考えたからです。

そこでの仕事を通じて痛感したのは、製造現場の負荷の重さでした。豊岡市の工場では、当社の分だけでなく全国のスクールバッグを製造しており、需要がどうしても新年度に集中します。毎年2~3月の納品に間に合わせるために、11月以降は朝から晩まで、土日も返上して製造し続けなければなりません。ちょうど繁忙期に手伝いに入ったので、あまりの忙しさに驚かされました。このような製造現場の努力あってこそ、我々は安心して商売ができていたのだと、頭が下がる思いでした。

スクールバッグはどうしても製造時期が集中してしまう。当社が頑張って学校からの受注を増やしても、工場にはさらに無理をさせてしまう。工場のため、自社のためを考えると、スクールバッグの売り上げは維持しつつも、通年で売れるもので、かつスクールバッグの生産ラインで作れるものを開発しなければと強く思いました。

不平等取引を解消し、利益改善

製造現場を経て片岡商店に入社し、まず行ったのは大掃除です。会社は、商品在庫の他ミシンや工具、古いショーケース、書類が詰め込まれた段ボールだらけで、事務作業を行うスペースも荷物でごった返していた。仕事の進め方も属人的で、商品一つ配送するだけでも「そんなやり方じゃだめだ」と両親がけんかする。一体どこから手を付ければ良いのか、途方に暮れました。

ヒントが欲しくて、SNSでつながっている家業を再建しているアトツギさんたちの過程を研究していると、皆さんまずはものの整理整頓から着手したと分かりました。地域情報サイトを活用して要らないものをどんどん片付けました。かなりすっきりして、現在では商品を展示するスペースも作れるようになりました。整理整頓は今も継続中です。

財務諸表を一から見てみると、不平等取引とも思える契約が経営を圧迫しているのに気づきました。
売り上げの30%以上が、地元のスポーツ店への卸売り分で、10年以上値上げをさせてもらえなかった。売れずに余ったら全部当社に返品される仕組みも、一般的な市場原理からいうと理解し難かった。1個数百円のパーツを1個単位で注文として受け、そのたびに父が配達していたことも判明しました。そこで、弁護士に相談しつつ取引条件の改善を願い出たところ、交渉は決裂し取引自体が解消されました。

失った売り上げは確保しなければなりません。思い切って、スポーツ店経由で納入していた約20校に、直接取引をお願いするべく営業をかけました。ちょうど夏休みの時期で、うだるような暑さの中、提案書を作っては片っ端から飛び込みました。図らずも、1社目のベンチャー企業で苦労した地道な営業経験をフルに生かせましたね。結果的に、約半数の学校から契約を得られ、直販比率が上がり収益もある程度確保できるようになりました。

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企業情報

社名
株式会社片岡商店
事業内容
スクールバッグ及びカバン製品企画・販売・修理
本社所在地
広島県広島市中区十日市町1-3-12
代表者
片岡勧
従業員数
3人(2025年8月現在)

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