
リーダーたちの羅針盤
地方発の独自発想で世界へ挑む
在庫買い取りビジネスで615億円企業に
PINCH HITTER JAPAN株式会社
吉岡 拓哉代表取締役社長
1987年生まれ、長崎県出身。大学卒業後は美容関連商社最大手、ダリアに入社。営業として圧倒的な成績を残した。2013年に独立起業。法人在庫買い取り事業、卸売事業など、複数の事業を展開し急成長を遂げる。起業する環境が整っていないローカル発でありながら全国規模のビジネスを展開。PINCH HITTER JAPANはアジア各国の100万社以上を調査対象としたアジア太平洋急成長企業ランキング2022、2023、2025において3度受賞している。
- 在庫買い取り
- 事業買い取り
- スタートアップ
- ブランディング
この記事のポイント
- 地方商店の課題解決を通してビジネスモデルを確立
- 好調の野球用品買い取り事業をなげうち、規模拡大に賭ける
- 地方から世界を目指して、海外展開に注力
PINCH HITTER JAPANは2013年に長崎県で創業し、その急成長ぶりから地方のスタートアップ企業の成功事例として注目される存在だ。だが、創業時は赤字経営に陥り苦しんだ。大学生の頃に描いた、若き仲間たちと共に「地方で、すごい企業をつくる」という夢を胸に、どんな苦境に立っても決して歩みを止めず前進する。
出身地である長崎県諫早市で会社を立ち上げ、創業13年目を迎えました。地方では人材の獲得やブランディング、資金調達が難しいといわれる中、逆に地方の強みを生かして取引社数6800社、年間取扱高615億円を突破。従業員81人を抱える企業に成長しました。とはいえ、創業当初から順風満帆だったわけではありません。紆余曲折を経て今があります。
大学時代に起業を志す
起業を志したのは大学時代です。当時、仲間と音楽を楽しむ傍ら、200人規模の学生イベント運営をしていました。楽しい上に利益が出る。その成功体験が後の人生に強く影響を与えました。「若い人たちの力を結集させて、すごい企業をつくりたい」。今思えば安易な発想ですが、そんな思いが起業を志すきっかけになりました。
大学卒業後は、将来起業する経験を積もうと美容商材の大手商社に入社しました。個人経営の美容室に最新の美容商材を売り込む営業を担当しました。大手のヘアサロンとは違い、街の小さな美容室に最新の美容商材を紹介しても、店主がなかなか興味を持ってくれません。試行錯誤の末、美容院の若手スタッフを営業のターゲットにしました。若手のほうがベテランに比べて美容室に来る人との接点が多く、美容商材を紹介してくれるからです。美容院の若手スタッフに商材の良さを伝える説明会を開催したり、美容室に来る人への対応マニュアルや想定問答集を作ったりし、若手スタッフの販売サポートを展開しました。これが功を奏し、若手スタッフの販売促進によって利益を生んだ美容院から次々に注文が来るようになりました。負担をかけずに売り上げを伸ばしたいという美容院の需要を見極め、丁寧にサポートして信頼を得たことが私の営業成績の向上につながり、自信にもなりました。3年後、会社を辞め起業する決心をしました。
起業するなら地元でとの思いに周囲からの反応は厳しかったものの、学生時代から夢見た起業への意志は固く、反対を押し切って会社を興しました。13年、私が25歳のときでした。
極貧生活の中で新規事業に活路

創業当時の副社長とのツーショット
吉岡社長(左)が大学時代からの親友である現在の副社長・川口恭平氏(右)を口説き二人三脚で始める
起業するに当たり、大学時代に一緒にイベント運営に取り組んだ友人である、現在の副社長・川口恭平が共同創業者になってくれました。成功体験のあるイベント事業を始めましたが、当初は集客の広告費ばかりがかさみ、利益を得られませんでした。資金は創業わずか1カ月ほどで底をつきましたが、真冬にガスが止まった部屋で冷たいシャワーを浴び震えても、会社を畳もうとは決して考えませんでした。試行錯誤の末、イベント事業をやめて、得意な営業力を生かせる飲食店集客のための広告営業を1、2年ほど続けました。
泥臭い対面営業を行う中、起業3年目にLED照明の代理販売ビジネスを思いつきました。当時、LED照明への切り替えは高額な初期費用がかかっていました。そこで、初期費用を無料にする代わりに、削減された電気代の一部を弊社の広告費用として毎月お支払いいただく仕組みを展開しました。地道な営業活動の末にたどり着いたこの仕組みは、ビジネスの転機となりました。
さらに、一発逆転のチャンスを見いだしたのは、16年、スポーツ用品店にLED照明の営業に訪問したときでした。店内には古いモデルの野球グラブばかりが並び、新しいモデルが見当たらない。店主に尋ねると、旧モデルの在庫がさばけなければ新商品は仕入れられないとの理由でした。その話を聞いたとき、私は旧モデルを買い取り、個人向けのネット販売を思いつきました。「型落ちでも安ければ、購入するニーズがあるはずだ。在庫がさばけて新しいモデルを仕入れられれば、店にもお客さまはやって来る」。私は、その場でなけなしの30万円を支払い、古い野球グラブを全て買い取りました。調べてみると、大手のインターネット販売で、野球グラブに特化した販売サイトはありませんでした。すぐに販売サイトを立ち上げ、定価6万円のグラブを当社の利益分含め3万円で販売したところ、グラブを安く手に入れたい人のニーズに合致し、あっという間に完売しました。これが、後に弊社の主軸となる買い取り事業を始めたきっかけです。
次に私と副社長が取り組んだのは、野球グラブを中心とした買い取りサービスをB to BだけでなくB to Cに広げることでした。不動在庫全量一括現金買い取りビジネスは、全国に通用するはずだと考えました。より多くの買い取りをすれば、当然私たちの売り上げにもつながります。それまで買い取りは余剰在庫に困っていた法人にのみ行っていましたが、個人からも受け付けるようにしました。個人からの買い取りに当たり、決済システム導入や取引用データベースをいち早く確立したのが奏功し、利用者は1年で6万人に達しました。「新古品野球グラブ」というニッチ市場を見つけ、スピーディーにシステムを構築したことで、19年には野球グラブの買い取り数で業界日本一となりました。
ビジネスはスピードとブラッシュアップが大切だと思います。ニーズや商機を感じたら、業態の変化をいとわない。
野球グラブの法人買い取りで始まった不動在庫全量一括現金買い取りビジネスをブラッシュアップしていく過程で、野球用品以外にロードバイクやスポーツウエアも扱い、品目を増やしました。
あるとき、スポーツウエアの買い取りを依頼されました。スポーツウエアはファッション性が高いだけに、少しでも古くなると売れ残ってしまいます。このスポーツウエアの買い取りは、その後のアパレル進出のきっかけとなりました。アパレル業界でもフードロス同様、衣料品ロスが課題であることに気付き、私たちが構築したビジネスモデルを用いてアパレルメーカーの不動在庫を買い取れば解決できると思ったのです。
しかしながら、一般的にアパレル用品の買い取り資金は1社当たり数千万円から億円単位の額が動きます。会社はある程度成長したものの、これほどの資金調達は難しいのが現状でした。地元の金融機関を回っても、スタートアップに対する目は厳しく、協力を得られそうにありませんでした。それでも市場が大きいアパレル業界への進出は、弊社にとってビッグチャンスです。副社長と議論を繰り返し、当時売り上げの9割を占めていた野球用品の買い取り事業の売却を決めました。成功事業をなげうって、アパレルに賭けることにしたのです。
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企業情報
- 社名
- PINCH HITTER JAPAN株式会社
- 事業内容
- 国内法人在庫買い取り・販売事業、韓国法人在庫買い取り・販売事業、台湾法人在庫買い取り・販売事業、ベトナム法人在庫買取・販売事業、タイ法人在庫買取・販売事業、インドネシア法人在庫買取・販売事業、事業買い取り・売却事業、地方人材マッチング事業、倉庫マッチング事業
- 本社所在地
- 長崎県諫早市新道町71-5
- 代表者
- 吉岡拓哉
- 従業員数
- 81人(パートを含む/2025年7月時点)
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