リーダーたちの羅針盤

世界中から能登に人を呼び込みたい――
震災直後に32歳で家業を継いだ若き代表の挑戦

株式会社田谷漆器店
田谷 昂大代表取締役

1991年輪島市生まれ。成城大学卒業後、24歳で帰郷し田谷漆器店に入社。漆器プロデューサーとして活動する傍ら、法人向け販売や輪島塗のサブスクリプションサービス、輪島塗をはじめとする伝統工芸品で食事ができるレストラン「CRAFEATクラフィート」の経営といった新規事業に着手する。2024年、能登半島地震後に田谷漆器店の代表に就任。

  • 輪島塗
  • 伝統工芸
  • 事業承継
  • 震災からの復興
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この記事のポイント

  • 一人暮らしで量産品のお椀を使い、輪島塗の良さにあらためて気付いて家業を継ぐと決意
  • 経営立て直しのため、企業とのコラボや海外展開に動き始めた直後、能登半島地震が発生
  • 被災の翌日に復興を宣言。多くの励ましや援助を支えに、輪島塗を守る新たな取り組みを開始

輪島塗の老舗・田谷漆器店が家業である田谷昂大さんは24歳で入社し、2024年1月に代表になった。輪島塗の魅力を国内外に広く伝えるべく、海外展開や法人企業との連携、飲食店の展開や輪島塗のサブスクなど挑戦を続ける。能登半島地震からもうすぐ2年。自社のみならず地域全体の復興を目指す。

田谷漆器店は、石川県輪島市で200年以上にわたり輪島塗の製造販売を行っている会社です。昔の資料が乏しく創業年は定かではありません。曽祖父の代である1916年(大正5年)に「田谷漆器店」として正式に事業化し、祖父が88年に法人化しました。私は2024年1月に発生した能登半島地震直後に代表に就任し、今に至ります。
田谷漆器店は、それぞれの代の主が、自分らしさを発揮しながら事業を展開してきました。祖父は料亭や百貨店向けの販路を開拓しました。父は文化財の修復に力を注ぎました。私は、法人向けと海外展開に注力しています。いずれの事業も当社の主力事業となり、伝統工芸品を扱う会社ながらオールラウンダーであると自負しています。

輪島塗に囲まれて話す代表の田谷昂大さん。ギャラリーの中には、被災を免れた輪島塗の器がずらりと並ぶ

田谷漆器店の大きな特徴は、輪島塗の製造販売を一貫して手掛ける「塗師屋(ぬしや)」である点です。輪島塗は製造工程が124にも及び、それぞれ専門の職人が分業制で製造に携わります。塗師屋は受注から企画、デザイン、職人のアサインと取りまとめ、販売までをトータルで担います。
輪島塗は、作品によって作り方が変わります。例えば、お(わん)と箸では、木地の作り方から蒔絵(まきえ)の技法まで大きく異なり、職人も変わります。塗師屋は一つひとつの作品の全体像を考えながら、どの職人ならば力を発揮できるのかを考えてアサインし、現場の流れを組み立て、完成品に責任を持ってお客さまのもとへ届けます。
昨今では需要減少を背景に、多くの塗師屋が問屋業のみに仕事を狭める中、当社はメーカーであり続けることにこだわり、自社で職人を抱えています。メーカーにこだわるのは、ニーズにきめ細かく応え続け、未来永劫(えいごう)、持続的に輪島塗を生み出し続けたいからです。輪島塗が伝統工芸として受け継がれ、愛され続ける未来を見据え、若い職人の育成にも力を入れています。

実家を離れて初めて、輪島塗の魅力に気付く

歴史ある家に生まれ育ち、今では代表を務める私も、大学に入学するまでこの会社を継ぐとは考えていませんでした。それまで父からも周囲からも一度も言われず、家業を継ぐ未来は選択肢にありませんでした。
考えが変わったのは、上京がきっかけでした。大学進学を機に東京で初めて一人暮らしを始め、食器をそろえたところ、安価な量産品のお椀を使って食事をしてもおいしさが感じられない。実家のお椀とのあまりの違いに驚かされたのです。
輪島塗のお椀は、漆独特の柔らかい手触りがあります。手にすっぽりとなじみ、口当たりも非常に良いのが特徴です。断熱性に優れ、長く温かさを保ちます。当たり前のように生活の中に輪島塗があったため、他の器を使ってみて初めて、どれほど素晴らしいものだったのかに気付かされました。
それまでは将来の目標はありませんでしたが、この経験を機に、「心から良いと思えるものをお客さまにお届けして対価を頂けるならば、こんなに幸せな仕事はない」と思うようになりました。初めて家業を継ごうと真剣に考えました。

輪島塗の汁椀。軽くて丈夫な上、保温性も高い。使い込むうちに漆がはげてきても、修理して使い続けられるのが漆器の良さだ

当時の田谷漆器店の事業は、展示会での販売がメインでした。父から依頼されて、学業の傍ら東京の展示会を手伝うようになりました。展示会の場で、お客さまと直接やり取りできたのは、私にとって貴重な経験でした。「輪島塗はこんなに多くの方に求められ、高く評価されているのだ」と実感できたからです。

人生をかけて会社を立て直す決意

大学時代は4年間、外資系ホテルでアルバイトをし、この経験も家業を継ぐと決断する大きな機会になりました。
ルームサービスと会員制ラウンジを担当し、国内外の経営者とコミュニケーションを取る機会に恵まれました。ある経営者の方と雑談の中で自分の実家についてお話しすると、「自分が唯一持っていないものは歴史だ。あなたの実家にはその歴史がある。将来びっくりするぐらいの買収の話が舞い込むはず。自分が買えるものならば買いたいくらいだ」と言われたのです。家業の価値をあらためて実感するとともに、代々受け継がれてきた歴史を自分が引き継ぎ、未来につなげたいとの思いを強くしました。

大学卒業後、24歳のときに田谷漆器店に入社しました。実は戻ってくるにはかなりの覚悟が必要でした。経営状況が、想像以上に悪かったからです。
大学在学中に「家業を継ぎたいと考えている」と父に伝えたところ、父は私に5期分の決算書を見せたのです。見たこともないようなひどい数字が並び、ショックで体調が悪くなりました。現状はこんなにも厳しいのか。果たして自分が立て直せるのか。真剣に悩みました。ただ、下り坂にある伝統工芸品を扱い、会社の経営も危機的状況にある中で、もしも経営を立て直せたら、自分が生きた証しを残せるのではないかとも思い及びました。

さらに、このような厳しい経営状態にもかかわらず、兄弟3人全員を大学まで通わせてくれたことに感謝の気持ちが湧き起こりました。両親へはもちろん、輪島塗に対してもです。両親と輪島塗に恩返しをしたい。厳しい環境下でも人生をかけて取り組むべきだと腹をくくりました。

収益安定化のため法人展開と海外に注力

入社してまず着手したのは、展示会頼みからの脱却です。父の代で展示会に力を入れ重要な収入源になったものの、安定収入が見込みづらい側面がありました。展示会では輪島塗は「嗜好品」として購入されます。昨年たくさん購入いただいた方に今年も購入いただけるとは限らず、変動が激しかったのです。
そこで、まずは安定収入を確保し業績の土台を固めようと、大手企業のプライベートブランドの製作に着手しました。例えば航空会社のブランドでぐい呑みや箸を、事務用品メーカーで販売する漆万年筆を作る。このような企業を対象としたコラボレーション商品の受注生産に注力しました。当時、私を含め営業担当が2人しかおらず、大手企業とコラボできればそこの営業部隊が拡販してくれるとの狙いもありました。現在では、多くの企業とお取引をいただき、当社の主力事業となっています。

海外展開も始めました。輪島塗の器をそのまま海外に持っていっても、高額であるうえに現地の食生活にも合わない。そこで現地で使われる製品に漆を塗り、販売したのです。シンガポール向けには家具に、中国向けには中国茶器に漆を塗ると、耐久性と抗菌性が高まりしかも美しい仕上がりになり現地で高い評価を得られました。

一方で、輪島塗の魅力を広く伝えるため、「まずは使っていただく」機会を増やそうと考えました。輪島塗の漆器で料理が味わえるレストランを金沢市にオープンしたほか、輪島塗の美しさや使い心地の良さを気軽に体験できるサブスクリプションサービスもスタートしました。私の実体験からも、一度使っていただければ輪島塗の温かみや手触り、口当たりの良さを理解してもらえると考えたからです。実際、若い人からも反響を得られ、これからも輪島塗の本質的価値を伝えてファンを増やしたいと考えています。

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企業情報

社名
株式会社田谷漆器店
事業内容
輪島塗漆器企画、製造、小売
本社所在地
石川県輪島市杉平町蝦夷穴55
代表者
田谷昂大
従業員数
22人(2025年9月現在)

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