リーダーたちの羅針盤
平均年齢60代の会社が社内改革で若返り――
20代と80代が協働する、クリエーティブで風通しの良い組織へ
株式会社メトロール
松橋 卓司代表取締役社長
1958年東京都生まれ。日本大学農学部卒業後、大手食品メーカーに入社。営業部門と新規事業を経験した後、親戚が手掛ける豆腐メーカーに転職し再建に尽力。98年、父親が76年に創業したメトロールに入社。2009年に社長に就任。
- 機械式位置決めセンサー
- 世界トップシェア
- 事業承継
- チームビルディング
この記事のポイント
- 40歳のときエンジニアの父が創業した企業を承継すると決意
- メカトロニクスに移行するためチームでの開発にシフト、若いエンジニアを採用
- 年齢や経歴にかかわらず意見を言いやすい組織づくりに注力しイノベーションを促進
産業機械向けの高精度位置決めセンサーを開発・製造・販売するメトロールは、2代目社長の松橋卓司さんが1998年40歳で入社した当時、社員の平均年齢は60代だった。このままではあと数年で会社がなくなる。危機感から大幅な体制変更に踏み切った。現在の平均年齢は、約33歳だ。若手とベテランが対話しながら、日々世界に向けた新製品開発に取り組む。
メトロールは、産業機械向けの高精度位置決めセンサーに特化した開発・製造・販売会社です。
当社の位置決めセンサーは世界74カ国、7000社以上で採用され、トップクラスのシェアを誇ります。各社の生産設備の自動化・無人化を実現し、世界のものづくりに関するイノベーションを支えていると自負しています。
技術者のための会社をつくりたい
創業者である父は、東京大学卒の技術者です。大手メーカーで胃カメラの研究・開発に従事した後、精密機器メーカーで測定器の開発に携わりました。父が会社員だった60~70年代は、新しい技術の開発は失敗すると批判され、成功すると会社に手柄を持っていかれるような時代です。意欲ある若手技術者がどんどん辞める現状を憂い、「技術者が好きなだけ失敗して、世の中にないものを生み出せる会社をつくりたい」と51歳のときに会社を辞め、メトロールを立ち上げました。
創業当初、業績は厳しかったようです。新製品のアイデアがあったもののすでに他社が特許を取得済みで、前職時代の取引先からの請負で細々と設計製造を行い、赤字経営が続いていました。
収益を確保するために自社製品を開発しなければと方向性を模索していたときに、ある大手メーカーから「耐久性のある精密センサーをつくってほしい」と相談を受けたことが転機になりました。製造ラインを自動化する際に使われる位置決めセンサーの主流は電子式で、熱や素材の影響を受けやすく使用できる環境に制限があります。精密機械の開発経験・ノウハウを生かし、耐久性のみならず正確性も高い機械式センサーを開発したところ、高く評価され評判を呼びました。赤字脱却を実現し、経営が軌道に乗りました。
「農学部に進み食品メーカーに就職した私は、父の仕事についてほとんど知りませんでした」と語る、メトロール代表取締役社長 松橋卓司さん
食品業界を約20年経験
父が独立・起業したのは、私が高校3年生のときです。私は40歳でメトロールに入社するまで何をつくっている会社なのかさえ知りませんでした。
日本大学農学部卒業後は、日清食品に入社し、インスタントラーメンの営業に関わりました。当時、日清食品はすでにインスタントラーメンでトップシェアを誇る大企業。営業目標は高く、達成するのは大変でしたが、地道な営業活動を徹底して成果を挙げました。
ただ、会社の看板があるから売れるのではないかとの思いがあり、徐々に物足りなさを感じるようになります。看板を外し、自分の力で勝負がしてみたいと思い、30歳のときに志願して新規事業部に異動しました。すでに競合が多い菓子や飲料分野のアウェーな環境であれば、自分の力を試せるのではないか。新製品を生み出すチャレンジングでクリエーティブな仕事を経験できるだろうと考えたからです。
ここで、会社の看板が利かない後発分野はこんなにも厳しいのかと思い知らされました。地道に取引先と関係性を築き、何とか実績を積みながら、新しいものを生み出す経験をしてみたいと思うようになりました。
そんなとき、建築会社を営む叔父が潰れそうな豆腐メーカーの経営を引き継ぐことになりました。畑違いの分野で苦労する叔父の姿を見て、「自分が手伝いたい!」と、10年勤めた日清食品を退職しました。
上場企業から潰れかけの豆腐メーカーに転職するなんて前代未聞とばかりに、日清食品の社長をはじめ多くの人に引き留められました。ですが迷いはありませんでした。転職すれば、会社を立て直すチャレンジングなミッションに取り組める。商品企画から製造、販売まで、すべての工程に携われる。非常にクリエーティブな環境がそこにあると思えたからでした。
実際、転職後は商品企画から製造、販売とありとあらゆる業務を担当しました。それまでは搾油用の大豆をグルコン酸で固める「安かろう」な商品ばかりをつくっている会社でした。ニガリを使った本物の豆腐に切り替え、営業経験を生かして大手スーパーやコンビニチェーンに売り込み、経営を立て直しました。
農学部時代に学んだ製造現場の衛生管理や食品添加物についての知識がフルに生かせたのも大きかったです。海外で契約栽培した大豆を使用したニガリ豆腐は、そのおいしさが支持されヒット。売上高は20億円から60億円へと一気に拡大しました。
40歳でメトロールに入社
会社の規模が急激に大きくなり、主に品質管理の面で叔父と考えが合わなくなります。意見が対立し困り果てて実父に相談すると、「それは大変だな。だったら、ウチの会社に来てくれないか?」と(笑)。これはこれでいいタイミングなのかもしれないと、メトロールへの入社を決めました。
この時点まで父の会社がどんなものをつくっているのか、全く知りませんでした。それでも父が新しい技術を技術者として追求していたことや、真面目にコツコツ取り組む姿勢は知っていました。
事業内容について学ぶと面白そうだし、商機は十分にあると感じました。機械式センサーを扱う会社は珍しく、すでに固定客がいる。領域を広げたり海外に目を向けたりすれば、需要拡大が見込めるだろうと思えました。
一方で、入社して初めて気づかされた課題もありました。父は当時すでに70歳過ぎ。社員の多くは父の元同僚や後輩たちで、平均年齢60代のベテランばかりでした。このままのんびりしていたら、社員がどんどん減り会社そのものがなくなってしまう。時間がないと焦りました。
そもそも、父一人の頭脳と発想に頼って製品開発を行う、存続性に欠けるビジネスモデルでした。そこで、一人の力ではなく「チームの力でつくる」体制への変更を決断。事業環境的にも父が追求してきたメカ(機械工学)だけでなく、電子工学、情報工学を加えたメカトロニクスへの変革が必要でした。様々な知見と強みを持つ人たちが協働し、チームビルディングで新製品をつくり上げなくてはと考えました。
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企業情報
- 社名
- 株式会社メトロール
- 事業内容
- 工場の自動化に貢献する「高精度工業用センサー」の開発・製造・販売
- 本社所在地
- 東京都立川市高松町1-100 立飛リアルエステート 25号棟 5階
- 代表者
- 松橋卓司
- 従業員数
- 118人(2023年5月現在)