リーダーたちの羅針盤
「峠の釜めし」は
イノベーション
6代目社長が
経営改革を敢行
株式会社荻野屋
高見澤 志和代表取締役社長
1976年群馬県生まれ。慶応義塾大学法学部卒業後、1年間の英国留学を経て、2003年に荻野屋に入社。専務取締役を経て、2012年に6代目代表取締役社長に就任。2018年慶応義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。
- 峠の釜めし
- イノベーション
- 事業承継
- 創業140年
この記事のポイント
- 70年のロングセラー、峠の釜めしは顧客の声から生まれたイノベーション
- 父の急逝で事業を承継し多額の借金に直面、経営改革を敢行
- 創業140年の歴史を次世代につなぐためには変わり続ける必要がある
荻野屋は群馬県で弁当の製造販売やドライブイン事業などを手掛ける。看板商品の駅弁「峠の釜めし」は1958年に誕生した。以来70年近く愛され続けるロングセラーだ。荻野屋の6代目社長である高見澤志和さんは、2003年に父の急逝を受けて荻野屋に入社。老舗企業を守るにはイノベーションが必要だと考える。
荻野屋は元々、江戸時代から続く温泉旅館です。1885年、横川の地に鉄道が敷かれ横川駅が開業すると同時に、この地に移りました。この年を当社の創業年とし、2025年には140周年を迎えました。
横川でも旅館業は続けつつ、当時の国鉄から駅構内での営業権を取得し、弁当事業を開始しました。最初に提供したのはおにぎり2つにたくあん2切を竹の皮に包んだものでした。諸説ありますが、現存する日本最古の駅弁業者といわれています。
横川駅の開業当初は終着駅で、その後軽井沢方面に延伸し多くの鉄道関係者が周辺に移り住むようになりました。鉄道の町として発展し、旅館への宿泊者も多く、昭和初期までは景気が良くにぎやかな街だったと聞いています。
ただ、戦後は物資難に陥り、経営が著しく悪化します。会社を建て直すために4代目である祖母のみねじが発案したのが「峠の釜めし」です。当時の横川駅は、乗降客は多くはなかったものの観光需要は戻りつつあり、列車の数も増えていました。「弁当需要はあるはずだ。画期的な商品が出せれば経営が安定する」と祖母は、お客さまの「温かいお弁当が食べたい」という声に応え、陶器の釜に入った温かい弁当を開発しました。当初こそ売れなかったものの、口コミやメディアの影響で販売数が伸び始め、大人気商品となり業績を急回復させました。
その後、高度経済成長期に入り、交通インフラが整備されたのを機に、列車だけでなく観光バスや自家用車での旅行が増えると読み、ドライブイン事業をスタート。観光ブームにも乗り、一気に事業は拡大しました。
ところが旅行の手段が変化するにつれ、横川駅での販売数は徐々に減少します。1997年に長野新幹線開通に伴い、信越線の横川~軽井沢間が廃止になりました。既に「道路」がメインの販売チャネルになっておりましたので、影響はほとんどありませんでした。私が荻野屋に入社したのは、ちょうどこの頃です。業績好調に見えて、実は様々な問題が山積みになっていました。
「峠の釜めしはイノベーションから生まれた商品です」と話す高見澤志和 代表取締役社長
父の急逝で「家業を継ぐ」と腹をくくる
私は横川で生まれ育ち、経営者である父の姿を見て育ちました。会社を継ぐ気はなく、厳しい父への反発心や決まったレールの上を歩む抵抗感で距離を置いていました。
猛勉強して慶応義塾大学に入ったのは、一人でも生きていける力を身に付けたかったからです。いつか自分で会社を興してみたい思いがあり、必要な知識が学べそうな法学部を選びました。
大学卒業後、語学力を身に付け視野を広げるためロンドンに留学して1年ほどたった頃に父が急逝。状況が大きく変わります。
継ぐ気はなかったものの、父からは事あるごとに「荻野屋を継ぐのはお前しかいない」と言われ続けていました。想定よりもだいぶ早いタイミングで、しかもあまりにも急にそのときはやって来ました。腹をくくり帰国し、取締役として荻野屋に入社しました。
家業だったものの、正直荻野屋がどのような事業をどう展開しているかも分からない。まずは会社を理解しなければと、1年ほどかけて各現場を見て回ることから始めました。
その結果明らかになった一番の問題は借金の多さでした。
売り上げへの意識は強いものの、利益に対する意識が極端に低く、原価が利益を圧迫していました。借金が膨らみ、財務内容は非常に厳しい状態でした。社長をはじめ皆が「売り上げさえ上がっていれば何とかなる」と信じていたのです。
着手したのは、社員の意識改革からでした。いくら売り上げが順調でも利益が残らなければ給与もボーナスも支払えない。この当たり前のことを丁寧に説明しつつ、苦渋の選択ですが実際に役員報酬や給与も下げざるを得ませんでした。さらに、毎日の取引を可視化して会社の現状をこまめに共有しました。
同時に着手したのが、在庫の適正化です。過剰な在庫は負債になるとの概念がなく、これも利益を圧迫する原因になっていました。在庫を多く持つことへの安心感があったのでしょう。ただ、食品には消費期限がやってくる。定期的に大量の廃棄が発生していました。
過剰在庫は、利益だけでなくキャッシュフローにも悪影響を及ぼします。在庫管理方法を一から見直し、適正在庫に切り替えました。スタッフも多過ぎたため、配置の適正化も徹底しました。
釜めし発祥の地、横川にあるドライブイン。隣接する製造工場からできたての峠の釜めしが届く
これらの取り組みによって利益は着実に回復し、借金も少しずつ減らせました。社員の利益に対する意識改革は今も続けています。いくら理解を求めても「今までのやり方で会社は回っていた」「わざわざ変える必要があるのか」といった意見は必ず出る。むしろ現場に行くほど、利益意識の徹底がしづらくなるのは経営者としていまだに残る課題です。
事業環境が目まぐるしく変化する中、当社に限らず変わらなければ生き残れない時代です。経営者と従業員の意識の
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企業情報
- 社名
- 株式会社荻野屋
- 事業内容
- 各種弁当料理、麺類製造販売、駅構内営業(売店)、飲食事業部(ドライブイン・レストラン等)、石油類の販売
- 本社所在地
- 群馬県安中市松井田町横川399
- 代表者
- 高見澤志和
- 従業員数
- 400人(2026年2月現在)