特集:明日への扉
"対岸の火事"ではない
中小企業に効く
実践型BCPの勘所
日本の2024年は予期せぬ災禍、能登半島地震から始まった。
2011年の東日本大震災以降、大規模自然災害や感染症パンデミック(世界的大流行)など未曽有の事態に直面するたびBCP(Business Continuity Plan=事業継続計画)の必要性は叫ばれるが、中小企業の策定率は伸び悩む。
新たな大災害に見舞われた今、中小企業のBCP問題の現実と解決策を探る。
- 明日への扉
- BCP
- 事業計画
- リスク管理
この記事のポイント
- 不測の事態が発生しても、事業を中断させない体制や計画が必要
- 中小企業こそ、簡易版BCP「ジギョケイ」策定は必須だ
- ジギョケイ認定事業者は、多様な金融支援策を受けられる
「中小企業に効く」
実践型BCPの勘所
協力=中小企業診断士 福泉裕氏
中小企業のBCP策定を促進するため、2019年に国がスタートさせた認定制度がある。「事業継続力強化計画(ジギョケイ)」だ。今、ジギョケイから着手し、平時に計画を拡充させながらBCPも視野に入れる実践重視型のスタイルが中小企業における"セオリー"となっている。
BCPという言葉は浸透したが、中小企業の策定率は低調だ。
2023年の帝国データバンクによる意識調査では、大企業のBCP策定率35.5%と比較して、中小企業は15.3%と大きな開きがある。調査結果によれば「BCPを策定していない理由」に「必要性を感じない」と回答した中小企業は、大企業より7.2ポイントも高い。中小企業診断士で防災士の福泉裕氏は「中小企業であってもBCPの必要性は変わらない」と危惧する。
福泉氏には東日本大震災後、中小企業に対し大災害を想定したBCP策定支援を数多く行った実績がある。「中小企業経営者には、経営を揺るがすリスクへの危機感に欠ける方も多い印象がある」と福泉氏は続ける。体力のある大企業なら、大地震に一度直面しても倒産を免れる可能性は高い。経営に直撃しやすい中小企業にこそ、BCP対策は不可欠だ。
多様化・複雑化するリスク
BCPとは、不測の事態が発生しても重要な事業を中断させない、または中断しても可能な限り短期間で復旧させる体制や手順を示す計画を指す。内閣府「事業継続ガイドライン」では、BCPの概念として、縦軸を操業度、横軸を時間軸に見立て、経営環境を揺るがす突発的な事象の発生を想定する(図「BCPの概念」参照)。
まったく準備をしていなければ操業度は一気にゼロとなることもあり、復旧には膨大な時間を要する。許容限界までに復旧できなければ、倒産もあり得る。一方、BCPを策定すれば、初動対応で操業度の低減を抑えられる。復旧までの時間も短縮される。
近年では、大地震のほか、風水害や土砂災害、新型コロナウイルスによるパンデミックなど、想定外の事態が立て続けに発生した。サイバー攻撃の脅威も増す。サプライチェーンが多様化・複雑化する現代では、大きな企業が危機にひんすれば、その川上と川下にいる中小企業に影響する。「多くの中小企業経営者は、うちは小さな会社だからサイバー攻撃などあり得ないと考える。実際は大企業への攻撃の糸口として狙われる。BCPでは、中小企業だからという油断を排除した意識改革が必要だ」
簡易版BCP「ジギョケイ」
中小企業が大企業に比べて必要な人材や資金力を確保しにくいのも事実だ。2019年、国は自然災害への事前対策等を促進する法律「中小企業強靭化法」を成立・施行した。同年、国が認定する制度として、中小企業が防災・減災の事前対策に取り組む事業継続力強化計画(通称:ジギョケイ)もスタートした。
ジギョケイとは、簡単にいうとBCP策定の難しい部分を割愛し、防災・減災にフォーカスしたものだ。いわば簡易版BCPである。策定の手引きに沿って進めれば、比較的手軽に効果的な計画を作成できる。記載項目は基本的に5ステップだ。
- 目的の検討
- リスクの確認
- 初動対応の検討
- ヒト、モノ、カネ、情報への対応
- 平時の推進体制
策定の手引きには各項目の記載例がある。「自社に近い例を選び、アレンジして作成できる。最初から完璧を目指す必要はない。大切なのは他社のまねでなく、自社の状況に即した内容に仕上げることだ。自社の状況を把握していれば、早い人なら1日で仕上げられる」
福泉氏が知るモデルケースに、広島県の内装工事会社がある。14年と18年の西日本豪雨において、自社は被害を免れたが防災の必要性を実感した。工事業はすべての業務をテレワークで行えないが、通勤困難を想定しデザイン業務や事務業務にテレワークを導入した。その結果、コロナ禍でもクラウドを使った在宅体制が役立った。
加えて、協力関係にあった同業他社と連携し、ジギョケイを策定した。被災時の行動マニュアルや協定書を作成し、取り組みは地元マスコミに取り上げられた。PRになったばかりか、金融機関の信頼も上がったという。
多大な金融面のメリット
事業の継続力強化は、会社としての信用力強化に直結する。ジギョケイ認定事業者は様々な金融支援策を受けられる。認定マークを名刺に記載すればPRにもなる。
主な金融支援策に、日本政策金融公庫による低利融資、民間金融機関からの融資における信用保証限度額の拡大がある。「公庫の融資を受ければ、民間金融機関からの融資も受けやすくなる。宮崎県のある会社は津波や高潮、洪水のリスク回避のため高台への社屋移転を考え、公庫に融資を相談したところ、ジギョケイ認定を勧められた。認定後、移転費用の半分を公庫、半分を地元銀行の融資で賄えた」
計画実行における防災・減災の設備取得では、特別償却18%の税制措置を受けられる。ものづくり補助金をはじめとする加点措置も受けられる。ジギョケイの認定で得られる資金面でのメリットは多い。
ジギョケイには自社のみで策定する「単独型」と、複数企業が連携する「連携型」の2種類がある。
連携型は認定件数全体の1.5%強とまだ少ないが、福泉氏は連携型での申請を強く勧める。「連携型は2社から、多い例では100社超が連携するケースもある。どれほど尽力しても、自社でできる対策にはやはり限界がある。連携型はコストを抑えながら有用な対策を立てられ、リスクヘッジのレベルも格段に上がる。金融面においても、計画書に名を連ねる全中小企業者が金融支援施策を受けられるメリットがある」
連携先のパターンは、所属組合内の他社、所属とは異なる組合、サプライチェーンにおける親会社や参加している会社、地域内外の他事業者など多様だ。中小機構では連携先を紹介するビジネスマッチングサービスも実施する。
「平時の推進体制」の重要性
BCP策定はジギョケイからスタートすればハードルは高くない。策定したジギョケイを適宜見直しながら、自社に即した実践的なBCPへと育てる。実効性の伴わない絵に描いた餅にしないため、平時の推進体制が重要だ。日ごろから誰の指揮下で、どのように訓練や教育に取り組むかを決める。
福泉氏は、ジギョケイの策定メンバー選定からしっかり検討すべきだと強調する。「ジギョケイ制度では、平時の推進体制や取り組みへの経営層の参画が要件となっている。総務に丸投げせず、経営層と事業現場を把握する人材を策定メンバーに入れるべきだ」
注意したいのは、複数の事業が存在する場合だ。「非常時においては、経営資源を中核事業に集中させる必要がある。経営層がリーダーシップを発揮しなければ、中核事業が混乱する可能性がある」
訓練で見直し、計画を磨く
ジギョケイ認定では、最低年1回の訓練や教育が義務付けられるが、実施内容の細かい規定はない。策定後の訓練や教育はどう行うべきか。
訓練や教育は大きく実地と机上に分けられる。実地訓練では避難行動、安否確認、データバックアップ作業、救護活動などを行う。一方、机上訓練では、初動からのプロセスを計画に従って確認する。数人のチームに分かれてワークショップ形式でシミュレーションするのが効果的だ。訓練の現場を数多く見てきた福泉氏は、実施についてアドバイスを提示する。「全社員がいきなり避難から事後対応まで一連の訓練を行うのは難しい。社員が訓練や教育を面倒に感じても逆効果だ。まずは計画の読み合わせから始め、ワークショップを重ねて周知、検討させるのが現実的といえる」
訓練や教育には大きく2つの意味がある。一つは策定内容を計画通りに実行する能力の向上だ。繰り返し訓練を行って身につける。
もう一つは策定していないこと、つまり想定外の事態に対応できる能力の向上だ。「初動対応の訓練で満足しがちだが、重要なのは想定外の部分だ。想定外をつぶしながら計画を見直していくのがよい」
計画の見直しにはワークショップが有用だが、自社での実施が難しい中小企業は多い。「自治体の産業振興課や商工会議所、地元の信用金庫等に相談し、コンサルタントに入ってもらうのも手だ」と福泉氏は続ける。
ジギョケイを策定し、訓練と教育によって中身を磨き、BCPを自社の文化として定着させる。それが実践型BCPへの近道だ。
"見せる"災害対策が
サービスと組織力を増強
実践型BCP導入事例:ホテル松本楼(群馬県渋川市)
創業60年のホテル松本楼は、伊香保温泉で3軒の宿泊施設を運営する。伊香保温泉街は、山の急斜面に大小の建物が立ち並び、狭い坂道が入り組む。落雷の多い地域にもかかわらず、火事が発生しても消防車がたどり着けず、鎮火に時間を要する。同ホテルは以前から防災に力を入れていた。
新型コロナウイルス流行による休業要請が出た2020年夏、単独型の事業継続力強化計画(ジギョケイ)を申請した。2カ月間の自主休業中にものづくり補助金を利用し、厨房に大規模な工事を行った。その際、サポートを依頼した中小企業診断士から、補助金の加点条件となっているジギョケイ申請を勧められた。女将で計画策定責任者の松本由起氏は話す。「ジギョケイを策定することで、具体的に何をすべきかに加え、どこまでの範囲ですべきかが明確になった。例えば、有事には避難者は誰でも受け入れるつもりだったが、現実問題として無理だった。客、従業員、近隣住民の優先順位で収容人数の限度と受け入れに必要な備蓄品がはっきりした」
ハード・ソフト両面を強化
250人×3日の非常食を備蓄し、災害救援に使える自動販売機を設置した。自動販売機で飲料の他に紙おむつやお尻拭きも販売し、停電時には手動で商品を被災者に提供する。各客室にはタブレット端末を導入し、顧客との接触回数を削減すると共に、従業員による各部屋の稼働・清掃状況の確認を可能にした。
事務所内の財務・人事労務管理情報は毎日バックアップを取り、クラウド化にも対応した。さらに、災害時避難者受入施設支援事業補助金を活用してキッズルームと子ども専用食堂を設置し、バリアフリー化も図った。
人事労務関連においても大胆な変革を実施した。連絡網はLINEで職制に応じたグループをつくり、連絡の迅速化と柔軟性を高めた。年2回の人事異動で頻繁に配置転換し、従業員の多能工化(マルチタスク化)を進めた。
行政・同業他社とも連携
ジギョケイ策定による効果は、平時にもすぐに表れたと松本氏は話す。「従業員の多能工化は、非常に大きな経営の改善につながった。以前なら繁忙期にはアルバイトや派遣社員の増員が不可欠だったが、従業員のみで運営できるようになり、人件費の削減とサービス向上を両立できた。全員が多様な現場を経験したことで他者への気遣いが生まれ、風通しも良く団結力のある組織になった。従業員にインフルエンザが流行した際には、通常より10人少ない人員でも職域を超えて助け合い乗り切れた。離職率の低下も思わぬ効用だ」
同ホテルは、伊香保温泉の他旅館と共に火事や機材トラブルによる宿泊客の相互受け入れを行ってきた。ジギョケイ策定をきっかけに渋川市に働きかけ、渋川市と伊香保温泉旅館協同組合で防災協定を締結し、温泉街の施設を災害時の避難所として利用できるようにした。加えて23年、特に親しい旅館と連携型ジギョケイを策定し、避難者受け入れ体制を強化すると共に、組織レジリエンス(回復力・復元力)を高めた。
ジギョケイでは年最低1回の訓練が定められている。同ホテルは宿泊客のいる営業時も含め、年12回の訓練を行う。施設課長がリーダーとなって実施する訓練ではテーマが設定され、参加者による気づきの吸い上げと内容のブラッシュアップが図られる。
備蓄品の保管方法の新しいアイデアは、訓練での気づきから生まれた。備蓄品は巨大な収納スペースを必要とし、一旦収納してしまうと場所の把握が難しい。そこで発想を転換し、備蓄品を展示することにした。課題を解決するだけでなく、防災・減災への取り組みを客にアピールでき、宿のブランディングにも役立つ。松本氏は話す。「BCPは非常時のための単なる守りの対策ではない。従業員のプロ意識の向上、顧客獲得の攻めの対策としても有効だと実感している」