特集:明日への扉
人材教育が会社を強くする
従業員スキル底上げ術
人材育成の必要性が盛んに説かれている。特に人数の少ない中小企業では、一人ひとりの能力向上が会社の業績に直結する。
その一方で、「教育の必要性は分かっていても、金銭的にも時間的にも余裕がない」という中小企業経営者の本音も聞こえてくる。
どのように人材を育てればよいのか。
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- ビジョン
この記事のポイント
- 人が育つと会社が育つ、必要なのはビジョン
- 3本柱はワークスキル、ビジネススキル、ヒューマンスキル
- 研修を通じて、自分で考え動く能力を育む
人が育つと会社が育つ
協力=ビジネスコンサルティング・ジャパン 伊藤敏克代表取締役社長
うちは従業員が少ないから、わざわざ教育の場を設ける必要はない──。そう考える経営者は多いが、人材教育は会社の成長につながる。企業にとってなぜ教育が必要なのか、どうすればお金をかけずに教育できるのか、心構えと進め方を聞いた。
中小企業庁と中小企業基盤整備機構が行った「中小企業景況調査」によると、中小企業における人材不足は2020年以降、ずっと深刻な問題となっている。しかし従業員を対象とした人材育成の仕組みが定着していないのが現状だ。ビジネスコンサルティング・ジャパン代表取締役社長の伊藤敏克氏は「中小企業の多くは人事部がなく、社長が業務関連のセミナーを見つけ、個別に機会を提供するにとどまる。人づくりの体制の整備が遅れている」と警笛を鳴らす。
そもそも、なぜ人材教育が大切なのだろうか。
「個々の従業員の業務スキルが上がれば組織全体で業績が上がる。社会的信頼を得るスキルが上がれば、企業の信用は高まり、新規案件や顧客を引き寄せる。近年は人材教育プログラムも進化している。何もしないとライバル会社に後れを取ってしまう。ヒト・モノ・カネの3つの経営資源のうちモノ・カネは有限だが、ヒトの能力はどこまでも伸ばせる。そこに経営資源を投入するのは理にかなっている」と、伊藤氏は強調する。
3つのスキルが信頼の鍵
人材教育といっても、何を教育するのか。企業で活躍するにはワークスキル、ビジネススキル、ヒューマンスキルの3つのスキルが求められる。
「ワークスキルとは、会社で使う機械の操作法、商品の製造法、社内用語など、業務に必要な知識や技術のこと。ビジネススキルは、どの業種においても役立つスキルで、コミュニケーション力、思考力、企画力などにあたる。社会全般で通用するのがヒューマンスキルで、信念、プロ意識、誠実さなど、仕事をする以前の人間力と言い換えられる」
人材教育において、ワークスキルとビジネススキルはイメージしやすいが、土台となるのはヒューマンスキルだという。社員から誠実さや信頼感が伝わらない会社には、誰も仕事を任せたいと思わないからだ。
「3つのスキルのうち、新入社員はワークスキルを高めるのが先決だ。評価の基準もワークスキルが中心となる。やがて後輩ができる頃になると、企画を立て顧客に粗相なくプレゼンできるよう、ビジネススキルを磨く必要がある。部下を持つ段階に至ったら、ヒューマンスキルも必須だ。人間力がないと部下は付いてこないし、顧客も離れてしまう」
従業員のスキルの総和が大きく育つと、会社全体も図Aの右側のようなバランスの良い三角形の強い組織になる。そのために一人ひとりのピラミッドを大きくするのが教育目標となる。
図A:従業員は3つのスキルをバランスよく身に付けることが大切
ビジョンの共有が先決
従業員教育の際にはまずこのピラミッド図を見せつつ、会社として求めるスキルを示すと伝わりやすく有効だと伊藤氏は話す。
「そのうえで、若手社員なら各自のスキルの現状を、本人と上司の双方が採点し比較する。自分自身を俯瞰するのは当然だが、他者からの見え方も知ると、自分の課題が何か、腑に落ちる。努力する側とサポートする側が同じ方向を向くので、効率も良い」
評価項目の例を図Bに挙げた。半期や四半期ごとに、定期的に評価するとよい。ただし、20代後半になると採点されることに抵抗を覚える人もいる。点数は付けずに面談でスキルと課題を確認し合おう。
図B:人事評価項目の例
- ワークスキル
-
- 機械を正しく操作できているか
- 商品知識は身に付いているか
- 社内用語を理解しているか
- ビジネススキル
-
- 提案⼒、企画⼒、調整⼒があるか
- コミュニケーション⼒があるか
- 論理的思考力があるか
- ヒューマンスキル
-
- やる気と向上⼼があるか
- 仕事への誇り、情熱、探求⼼があるか
- 謙虚さ、モラル、責任感があるか
- リーダーシップがあるか
この結果を踏まえ、従業員には必要な研修や勉強の機会を提供する。彼らになぜ成長を求めるのかを改めて説明し、理解を促す。従業員教育における4つの心得を図Cにまとめた。
最初の心得は、経営者自身が成長に向けたビジョンを持ち、明確化すること。「うちはこうやって成長していきたい。だからこういう人材になってほしい」と伝えると、従業員は納得して取り組める。
2つ目は、学ぶ意味を伝えつつ、研修に参加するかしないかを従業員自身に選択させること。自分で選んでこそ、責任感を持って主体的に臨めるからだ。
年単位で続ける
では、どのように教育を組み立てればよいのだろうか。伊藤氏は、「必ずしも費用が高い外部のセミナーでしか学べないわけではない」と断言する。
そのうえで、3つ目の心得として「継続」を挙げた。「研修を意味あるものにするには、何よりも継続が肝心。特にヒューマンスキルは企業文化に影響を受けるところが大きく、それを変えるには年単位の時間がかかる」
とはいえ、高額なセミナーにばかり参加していては継続できない。そこで伊藤氏が勧めるのが無料セミナーや自前の勉強会だ。
「例えばワークスキルなら、メーカーや業界団体が無料で開催しているセミナーを活用する方法がある。厚生労働省の人材開発支援助成金を活用する中小企業も多い。予算がない場合は社内勉強会も効果的だ。『IT関係の講師になってほしいんだけど、引き受けてくれないか?』など、そのテーマを得意とする社員に講師役を相談するとよい」
社内勉強会は、講師役の社員の自信と成長にもつながる。部下や後輩にいいところを見せたい心理が働くうえ、「経営者に認めてもらえた」と承認欲求が満たされる。もっとスキルを高めようと意欲が生じ、同時に人間性も磨かれる。
なお、経営者が「俺はこんなにがんばっている」と自らの承認欲求を満たそうとすると、「社長は自分のことしか考えていない」と従業員に思わせ、言葉に説得力がなくなる。「遅くまでがんばってくれたね」など、従業員の承認欲求を満たす言葉がけが大切だ。
「新しい取り組みを始めようとすると、『時間がない』『意味がない』といった否定的な意見が必ず出るもの。それでも、経営者はくじけてはならない。継続できない教育なら、始めからやらないほうがよい。ビジョンを示し、『こんな会社になったらお客様も増える』と伝え続けると、やがて理解してくれる従業員が増える」
従業員を見限らない
従業員教育を考えるなら、言動の一貫性も大事だ。経営者があいさつもしない会社では、ヒューマンスキルは育ちようがない。
「4つ目の心得が、まず経営者が範を示すこと。従業員が良からぬ行動を取ったら、すぐに注意すべきだ。辞められたら困る、ハラスメントにあたるのではないかと怖がっていると、社員はいつまでも間違いに気づけない。『指導は現場に任せている』と目をそらす経営者は責任を放棄していると言わざるを得ない」
感情的にならず、淡々と事実を述べて指導するのがコツだ。
成長が遅い従業員がいるときも、見限らないよう肝に銘じておきたい。"できない人"だと決めつけると、やがては組織の弱体化を招く。「大丈夫、君はきっとできるようになる」と伝えて向上心を刺激する。そうすると他人との比較ではなく、過去の自分を超えようと考え、強みが開花する。
人材教育は長い道のりだ。図Dで示したように、最初は経営者が一人で全従業員を引っ張り、孤軍奮闘となるかもしれない。だが教育が浸透し、理念の理解者が増えると、一人また一人と、経営者の側に加わって、他の従業員を引っ張る心強い同志となる。社内の雰囲気が一気に変わり、前向きな従業員ばかりの会社に生まれ変わることを目指したい。
これからの時代の経営者には、女性はもちろん、高齢者、外国人など多様な人材を受け入れる度量と、従業員全員が向く方向を1つにする仕組みづくりが必要だ。それが成長の源流となる。そのために自らのキャパシティーを広げ、教育体制を確立していこう。
自分で考え動く能力を育む
お金をかけない新人研修
人材教育実践事例:アポロガス(福島市)
経営者自らが従業員研修を考案・実施し、企業文化づくりに成功しているのが、福島市のエネルギー供給企業アポロガスだ。従業員80人の小規模企業ながら、経済産業省の「おもてなし経営企業選」ほか、数多くの表彰を受けている。
研修を始めたきっかけは、東日本大震災だと篠木雄司会長は振り返る。
「震災と原発事故の過去に例を見ない体験に遭遇し、多くの人が思考停止に陥った。その状況を目の当たりにして、企業には変化への対応力が重要で、それには自分で考え行動できる人材の育成が急務と感じた」
どんなことでも研修材料に
早速、2011年春から新入社員向け研修を開始した。新人を対象にしたのは、下の代が成長すると上の世代の奮起が期待できるからだ。
研修はどれもユニークだ。目的が変化対応能力の育成なので、業務スキルを磨く研修は行わない。最初に実施したのは、地元のFM局でラジオDJを務め、ファンレターを100通集める研修だ。これを皮切りに、着ぐるみでイベントの来場者をもてなす「着ぐるみ研修」、地元名物の饅頭の新しい食べ方を考案する「アポロ饅頭計画」「研修を作る研修」など、あらゆる事柄を題材に計150を実施した。ほかに、面白い企業を探して勝手に表彰する全従業員向けの研修も行われた。
これらを「珍しい体験」で終わらせず研修として成立させるために、篠木会長は仕掛けを用意した。従業員が興味を引くテーマを示し、「学びが目的であり、自分で考えて遂行することに意味がある」と伝え、研修後に論文を提出させたのだ(図E)。
例えば着ぐるみ研修なら「この研修における人材育成の本質について、論文を書くように」と事前に伝える。目的を伝えつつ、研修中も問いかけを続けると、従業員は論文執筆に向けてアンテナを立て、研修後に学び取ったものを言語化して整理する。着ぐるみを着る研修が立派な学びの場となるわけだ。こういった研修を頻繁に実施することで、常に学び考える場が与えられる。この反復が対応力強化につながると、篠木会長は考える。
人材育成の成果は、すぐに数値化されるものではない。アポロガスも、研修の成果が売り上げにいくら貢献したと示すのは困難だ。しかし、研修を始めて数年たつと、「福島に面白い人材教育を実践している企業がある」と聞きつけ、1~2人の新卒採用枠に全国から数十人もの学生が応募するようになった。
もちろん既存の従業員も進化した。それまでの会社の旗振り役は経営層。従業員は、言われたことだけやるというスタンスだった。そんな彼らから、地域住民の利便性に寄与する企画の提案が出始めた。研修で自ら考え、行動する能力を身に付けた成果といえる。
人材教育は後回しにしがちだが、時間やお金に余裕がないときこそ育成が大切だ。従業員一人ひとりの底上げが、会社の成長につながる。