特集:明日への扉
インナーブランディングで売上を伸ばせ
社員の意識改革で
稼ぐ力を生み出す
企業理念は、経営層のみの共有であってはならない。
社内への浸透が必要不可欠だ。社員一人ひとりが、企業が志す姿勢や目指すビジョンを深く理解し共感すれば、全社的にモチベーションは向上する。
業務効率化や品質向上、離職率低下と得られるメリットも多様だ。
企業理念の社内浸透に不可欠であるインナーブランディングの要点と実践法を考察する。
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この記事のポイント
- インナーブランディングの本質は社内ファンづくり。理念を従業員に浸透させる
- 社員一人ひとりが企業理念を理解し共感すれば、全社モチベーションは向上する
- 人に伝わる言葉で理念を策定する。社内に浸透にはやり抜く意志が肝となる
インナーブランディングの本質は
社内ファンづくり
協力=ブランディング・ディレクター 深澤了氏(むすび株式会社)
ブランディングとは企業の商品・サービスの魅力をアピールしファンを増やす活動だ。対象は社外と社内とに分けて考える。社外に自社のブランド価値を認知してもらうコミュニケーションはアウターブランディングという。自社のブランド価値を社内に、つまり社員全員に認知してもらうのがインナーブランディングだ。効用と具体的な施策について考える。
インナーブランディングの本質について、「社内特化型のファンづくりだ」と、むすび株式会社代表取締役社長でブランディング・ディレクターの深澤了氏は唱える。社内に企業理念(ビジョン・ミッション・バリュー)を浸透させ、理解と共感を広げる。「インナーブランディングで一体何が変わるのか。社員が自社のファンになる。理念共感の醸成と言い換えても良い。社員一人ひとりが会社を思い、自主的・能動的に動くようになる」
インナーブランディングの具体的なメリットは、取り組みに必要なプロセスを理解すると腑に落ちる。大きく2つの面で効果がある。
第1に戦略づくりだ。インナーブランディングには、策定プロジェクトメンバーを集めての議論が欠かせない。会社の強みは何か、生かすにはどうすべきかを考察するプロセスは会社の戦略づくりそのものだ。議論によって理念、戦略、戦術に一貫性が生まれる。「経営層だけで戦略を考えても絵に描いた餅になりがちだ。インナーブランディングの過程を経ると、自社の文化や価値観に沿った戦略を策定でき、必要な戦術も浮かび上がる」
第2に組織づくりだ。策定プロジェクトメンバーで議論し戦略を練るには、時間と手間がかかる。面倒とも思われがちだが、戦略づくりは重要な任務だけにやりがいがある。「メンバーは、それぞれの現場で理念や戦略を浸透させるアンバサダー役となる。手本を見せながら他者をリードする。プロジェクトが始まると、メンバーの現場でのパフォーマンスが向上した報告は多い。戦略と組織づくりは良好な経営そのものだ」
インナーブランディングは理念と戦略をまとめて終わりではない。社内の末端まで浸透させ、自社ファンを増やすことで効果を得られる。「効果は一石何鳥にもなる」と深澤氏は続ける。主なインナーブランディングの効果には以下3点が挙げられる。
- ■社員のエンゲージメント(会社への思い入れ)と、ロイヤルティー(帰属意識)の向上
- 社内の団結力が強まり目標を達成しやすくなる。
- ■会社への貢献意識の向上
- 社員の自主的な業務効率化や、商品・サービスの品質向上が進む。
- ■会社への愛着心の育成
- 社員のストレスが軽減され、会社への定着率が上がる。社員が自社の良さを自主的に外部にアピールするようになる。
「インナーブランディングによる社内への理念浸透を継続すれば、社員は常にやりがいを持ち、パフォーマンスが向上する。理念、戦略、戦術に一貫性が生まれ、理念は現場行動レベルに表れる。より多くの社員が理念を踏まえて行動できるようになり、稼ぐ力に再現性が生まれる」
企業理念を定義する
インナーブランディングに取り組む中小企業は多くはない。必要に迫られて取り組む例がほとんどだ。深澤氏は3つのパターンを挙げる。
- ①社長の代替わりを機に、理念の再定義が必要になった。
- ②階層(創業メンバー、中途採用組、新卒組など)で分断しているため、理念の浸透が必要になった。
- ③上場を目指す中で外部から理念を強く問われるようになった。
体感的に多いのは①だと深澤氏は続ける。「古参のナンバー2は、若い新社長より会社を熟知し、従業員の信頼も得ている。新社長は古い体制を改め、次世代ビジョンへの変革が必要と考える。代替わりで生じる亀裂に対症療法はない。理念の再定義とインナーブランディングが有用だ」
終身雇用が崩れ、転職が当たり前になる中、雇用対策面でのメリットも大きい。深澤氏は"採用ブランディング"を推奨する。採用→研修→インナーブランディングという順の常識を破り、採用と同時にインナーブランディングを開始する施策だ。「いわば理念共感採用だ。理念に共感した上で入社すれば、入社後のミスマッチは生じない。入社時点で理念共感度の低い新入社員は、全社的な理念浸透が進んでいればいるほどギャップを感じ、ミスマッチを起こしやすい」
採用に大きな母集団は不要だ。自社ファンになってもらえそうな少数に、選考段階で理念を強く押し出した教育を施す。共感して入社した人材は、社内での長い活躍が期待できる。
新入社員だけではない。深澤氏は「未来の企業は、理念の下に集まるコミュニティーとなる」と強調する(図A)。「雇用環境は様変わりし、フリーランス人材は今後も増える流れだ。雇用形態にかかわらず、社員、契約社員、アルバイト、フリーランスの全てが理念に共感し、ここで働き続けたいと思われる企業こそが勝ち残る」
伝わる言葉を着地点にする
インナーブランディングは理念を決め、従業員に浸透させる活動だ。理念は社長1人でも決められるが、策定プロジェクトチームを設立して取り組む意義は大きい。社長1人が決める場合、策定は早いが浸透に時間がかかる。従業員の反発も起きやすい。一方、チームで決める場合は策定までに時間はかかるが、社内への浸透はスムーズだ。反発も少ない。
メンバーは幅広い層からの選出が大切だ。社長、策定事務局の役割ができる人材、各部署のエース、とりわけ将来を嘱望される人材や上の世代に影響を与えられる人材を厳選する。10人を超えるとディスカッションの難易度が上がる。人数は10人以内が望ましい。
チーム内の議論について、深澤氏はワークショップのスタイルを推奨する。「ワークショップのメリットは多様なアイデアをまとめられる点だ。やる気のある社長や声の大きい人の意見ばかりが通らず、全員が1メンバーとなるワークショップは合理的と言える」
ワークショップでは、初めに会社の強みを整理し理念を探る。強みを付箋に書き出し、ホワイトボードに貼り付けていく。思いつきを言語化することが大切だ。「"強みを書き出せる社員はうちにはいない"と心配する経営者もいるが杞憂だ。働く環境の良さは何か、社員同士のコミュニケーションはどうかと具体的にお題を出して促せば、必ずたくさん出る。経験則で言うとたいてい200~300は出てくる」
次に関連する付箋をグルーピングする。強みが一気に視覚化される。視覚化された強みをベースに理念の文面を練る。
理念の策定で最も大切なのは、伝わる言葉への着地だ。「例えば、入れたい要素を盛り込んで"我々は○○を旨として○○を目指し、○○を追求しながら○○を実践し世の中に貢献する"と言われても、聞いた側はピンと来ない。理念を知った人に、自分たちの在りたい姿を頭に描いてもらうにはどんな表現が良いか。平易な言葉で良い。伝わる言葉が優先だ」
理念の浸透を施策で促す
理念を策定したら、浸透のプロセスに入る。理念の発表は全社員が一堂に会する総会を開催する。大々的にやることが重要だ。社長と策定プロジェクトチームが、全社員に向けて決意を表明し協力を仰ぐ。「社員に面倒臭いと思わせないのが発表の目標だ。初回で全員の腹落ちは無理だろうが、以降も各階層のキーマンによって浸透を続けていく。継続が大切だ」
リッカートが提唱した連結ピンの考え方(図B)が分かりやすい。人と人、人と組織、組織と組織が連結ピンで有効的に結びつき、コミュニケーションを円滑化させ、組織の意思決定や業務推進を支える。頂点には社長、その下に取締役、部長、社員や契約社員、アルバイトやフリーランスと人数が増えていく。「階層の段階ごとに浸透を図り、社員を束ねる責任者の腹落ちを目指せば、浸透はスピーディーだ」
理念の浸透には「覚える→理解する→自分の言葉で話す→実践する」の4段階がある。理解までを促す施策の代表が唱和だ。「朝に全社員で唱和する会社は多い。社内イベントの開催時に唱和しても良い」
唱和だけではない。社内報の発行や社内ポスターの掲示、理念をまとめたカードやブランドブック、経営手帳の配布も有用だ。「どんな制作物が機能するかは、業態や規模、社内カルチャーに左右される。一概にどれが正解とは言えないが、肝に銘じたいのは制作物の作成で満足しないことだ」
深澤氏は浸透度合いの定性・定量チェックも推奨する。定性面では、チャットやイントラネットをはじめとした社内SNSを活用する。例えば社員に毎月1回、理念に沿った行動と結果をSNSに書き込んでもらう。「書き込みを見て、投票などでMVP数名を選んで表彰しても良い。MVPたちの座談会を開催し、行動のきっかけや工夫を記事化して全社員に配布すれば、浸透度はより高まるはずだ」
取り組みを継続すれば、MVPレベルが上がり、現場力が強化される。SNSの書き込みレベルも向上する。自身の行動を常に意識し、理念を自然に理解していく構図が出来上がる。
一方、定量面ではアンケートを使う。毎月〜3カ月に1回、5分程度で回答できる理念浸透度アンケートを実施する(図C)。「理念浸透度の現在地を定量的に把握する。どの階層に、どんな働きかけが必要かを見極めれば、PDCAサイクルを高速で回せる」
浸透を強い意志でやり抜く
深澤氏がコンサルティングを手がけた中には、インナーブランディングの取り組み初年度に売上対前年比10%アップを記録した例もあるという。外部プロの力を借りれば1年で効果が表れるパターンもあるが、自社の力のみでの実施では時間はかかる。
「外部の人間は内容や進捗に対して厳しく指摘できるが、自社内メンバー同士はおよび腰になりがちだ。ファシリテーションにおいても慣れた人がリードしなければなかなか前に進まない」と深澤氏は指摘する。難易度の高い研修を外注する企業は多い。インナーブランディングにおいても費用対効果から見て有用だ。「初めは外部サポートを利用し、ノウハウを得てから徐々に自社で回せば良い」
インナーブランディングは浸透までやり抜く意志と努力が肝となる。費用と時間の投資効果は多大だ。経営課題の重要事項として考えたい。
40年続けて見えてきた
日報×社内報がもたらす相互理解の価値
インナーブランディング実施事例:アイワード(北海道札幌市)
アイワードは札幌市と石狩市に拠点を構える従業員約230人の印刷会社だ。コンピューターによる校正システムや、論文集制作に便利な自動組版システムを独自開発し、編集から製本までスピーディーな生産を強みとする。従業員の男女比率は57:43、障害者雇用率は9.7%である。印刷業の組織としては特異だ。
全社員が日報を提出
1983年からインナーブランディングの一環として継続するのは、日報と社内報を組み合わせた取り組みだ。全社員が就業時間の最後に日報を書く。内容は業務関連から生活での気付きまで自由だ。
社員はメールや紙、社内イントラネットで部門長に提出する。部門長は全てを読み込み、必要ならコメントを付けて経営層に上げる。社長と副社長が分担して全ての日報を読み、公開すべき日報をピックアップする。総務・共育部が社内報『フォーラム』に部署名と社員名を併記し、日報の文章をそのまま、紙とPDFで発行する。スタート当初は週刊ペースだったが、90年ごろからはほぼ毎日の発行だ。
2014年から社長を務める奥山敏康氏は、取り組みの意義を話す。「非常にアナログな方法ながら、全社員が情報共有できるコミュニケーションとして理にかなっている。業務を細部まで見える化し、営業であれば顧客の声、工場からは進行上の問題や改善、総務部であれば福利厚生についてというように、現場での生の声が分かる。互いに、自分がその立場ならどうかと考える機会でもある」
会社の理念に則した自主的・自覚的な行動を促し、経営者と社員の相互理解の場にもなっている。
喜びも悲しみも全社で共有
社内報の精読率は高い。「作業ミスの発見に役立つ」「営業職スタッフの日報から顧客の反応が分かってうれしい」といった声も聞かれる。「良いことばかりではなく、顧客に叱られた体験談も掲載する。教訓として、失敗の原因と有効な対処法、繰り返さないためのアイデア、必要なスキルを示す。エピソードから何を学ぶかは、各部署や社員同士の話し合いでブレークダウンする。失敗から学ぶプロセスは、自発的・能動的な社員の育成になる」
日報と社内報は、全社員の結束を促し、喜びや悲しみを共有するツールにもなる。日報には、家庭内での出来事や子育ての話題、さらに生活の中での気付きも寄せられる。社員の関心が高いと判断した出来事があれば、特集号の発行もある。
細く長く続ける価値
今では会社の文化として定着した日報と社内報の取り組みも、経営危機に端を発する。73年、20人規模だった同社は経営危機に陥った。経営陣を一新し、経営方針を刷新した。「民主的に運営します」「自主的・自覚的な行動を大事にします」「目標と計画を大切にします」という現在の経営方針は、そのときの社員全員でつくったものだ。
日報は、情報の共有ばかりでなく、理念を自分ごととして浸透させる目的で導入された。「インナーブランディングにおいて、日報×社内報は成果の実感までに時間がかかる施策だ。奇をてらわず、無理のない内容で地道に継続しなければならない。細く長く続ければ、従業員一人ひとりの心の動きも分かる。会社の進むべき道も方向付けられる。代え難い価値だ」
インナーブランディングには、長期スパンで企業文化を醸成していく根気強さが不可欠だ。アイワードの従業員の平均年齢は48歳、平均勤続年数は21.5年だという。男女比を考慮しても離職率の低さを物語る。アイワードの取り組みは、社員に愛される会社づくりだといえる。