特集:明日への扉

中小企業も賃金引き上げはできる

賃上げを機に
人材確保と成長の好循環を促す

2024、25年度と、歴史的な伸び率で最低賃金が引き上げられた。賃上げは人材の採用や定着に直結するだけに、この動きにどう付いていくか、頭を悩ませている経営者は多いだろう。
一方で、「賃上げは企業の生産性を高める機会」「賃上げは企業の持続的成長のための投資」という見方もある。実際に、賃上げを切り口に業務を改善し、人材確保ともうかる体制づくりに成功した企業も出てきている。
すぐに着手できる賃上げ原資確保の進め方や成功企業の取り組み事例で、賃上げの可能性を探ってみよう。

  • 賃上げ・昇給
  • 時間粗利(人時生産性)
  • 生産性向上
  • 人材確保
  • 成長サイクル
更新

この記事のポイント

  • 最低賃金1,500円時代に備え、賃上げを成長投資と捉える発想の転換が必要
  • 時間粗利(人時生産性)と昇給率を明示し、従業員が賃上げを自分事として考える仕組みをつくる
  • 社内の優秀な従業員の手法を可視化・共有し、全社的な生産性向上に取り組む
総論

「時間粗利」を調べよ。
もうかるヒントは社内にある

協力=人事コンサルタント 松本順市氏(ENTOENTO代表取締役)

2025年9月に発表された25年度の最低賃金は、全国加重平均で1,121円だ。24年度の1,055円に対して66円、実に6.3%の上昇となった。1978年に制度が始まって以来、最大の上げ幅だ。

最低賃金法では、最低賃金額以上の賃金支払いを義務付けており、改定された最低賃金に合わせて企業は賃金を引き上げる必要がある。しかし現場では苦戦している企業が多いようだ。日本商工会議所と東京商工会議所が昨年6月に実施した「中小企業の賃金改定に関する調査」によると、中小企業の約7割が賃上げを実施したものの、その6割が業績の改善が見られないまま人材確保などのためにやむを得ず賃上げに踏み切った「防衛的賃上げ」だったという。今回も同様の状況なのは想像に難くない。

図A:2024、25年度の賃上げ実施状況(全体集計)

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              2024年度(n=1979)に賃上げを実施した割合は合計74.3%(予定を含む)。内訳は以下。業績が好調·改善しているため賃上げを実施(予定を含む):30.4%、業績の改善が見られないが賃上げを実施(予定を含む):43.9%、現時点では未定:20.4%、賃上げを見送る(予定や引き下げる場合も含む):5.4%。
              2025年度(n=3042)に賃上げを実施した割合は合計69.6%(予定を含む)。内訳は以下。業績が好調·改善しているため賃上げを実施(予定を含む):27.8%、業績の改善が見られないが賃上げを実施(予定を含む):41.8%、現時点では未定:23.5%、賃上げを見送る(予定や引き下げる場合も含む):6.8%
出典:日本商工会議所・東京商工会議所「中小企業の賃金改定に関する調査」

グラフからは、賃上げを見送った企業の増加も読み取れる。見送った理由として一番多かったのが、「売り上げの低迷」(58.2%)、次いで「資金面での余力に乏しいため」(43.8%)だ。

「一部の大学が、初任給の低い企業を就活の対象から除外するよう学生にアドバイスしているという話を耳にするようになった。就活生による実質的な選別が本格化したといえる」と、企業の人事制度改革に詳しい松本順市氏は厳しい現状を説明する。

最低賃金1,500円時代にどう備えるか

賃上げの勢いは止まる気配がない。
昨夏、前石破政権は2020年代中に最低賃金を1,500円にしたいと発表した。年7.3%ずつ、5年間にわたって上げ続ける計算だ。
「防衛的賃上げでは1,500円までの引き上げは困難だ。賃上げを見送れば人手不足に陥るのは必至だ。いずれにしても企業の存続は難しくなる。いわゆる人材倒産を免れたいのであれば、経営者はこの状況に正面から向き合うべきだ」と松本氏は話す。
最低賃金1,500円時代を見据えた経営をイメージすることが重要だ。

図B:最低賃金1,500円時代の経営シミュレーション

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              ・最低賃金:2025年は1,121円、2020年代中は1,500円。全国平均の目安時給。2020年代中は政府目標
              ・月労働時間:2025年、2020年代中共に174時間。月平均の所定労働時間(年間休日104日、週40時間)
              ・高卒初任給:2025年は19万5,054円、2020年代中は26万1,000円。「最低賃金×所定労働時間」
              ・人件費係数:2025年、2020年代中共に1.6。社会保険などを加味した人件費が所定内賃金の何倍か
              ・人件費:2025年は31万2,087円、2020年代中は41万7,600円。「所定内賃金×人件費係数」
              ・労働分配率:2025年、2020年代中共に50%。中小企業の平均は70%程度だが、健全な50%で計算
              ・一人当たり粗利益:2025年は62万4,174円、2020年代中は83万5,200円。「人件費÷労働分配率」
              ・時間粗利(人時生産性):2025年は3,588円、2020年代中は4,800円。「粗利益÷所定労働時間」
  • 人件費係数、時間粗利はENTOENTOの登録商標
  • 人件費は所定内賃金の他、社会保障、教育訓練費などを含めた従業員1人に費やす費用のこと
  • 自社の人件費が分からない場合は、所定内賃金に概数として1.6をかけて計算する
  • 労働分配率は粗利益に占める人件費の割合。中小企業の平均は70%程度だが、ここでは健全とされる50%で計算
出典:ENTOENTOより提供の資料を基に作成

やや乱暴な要約になるが、最低賃金が1,500円になると、高卒の初任給は最低26万1,000円に上がる。社会保険などもろもろの費用を加えると、その新入社員を雇用するには、月当たり41万7,600円が必要になる計算だ。稼いだ収益を全部人件費に充てると会社が回らなくなるため、会社の取り分(50%)も入れると、新入社員1人の人件費を捻出するには月83万5,200円の粗利益(売り上げから売上原価を引いた利益、粗利ともいう)を稼がなくてはならない。従業員1人が1時間当たりに稼ぐ粗利、すなわち時間粗利(人時生産性)に置き換えると、4,800円になる。

高卒初任給26万1,000円と聞いただけで、「無理だ」と白旗を上げたくなる経営者もいるかもしれない。
しかし松本氏は、諦めるのは早計だと声を強める。
「賃上げできるように従業員を成長させればよい。賃上げをコスト増と考えず、成長への投資と考えるべきだ」。その発想の転換こそが、最低賃金1,500円時代に備える第一歩となる。

賃金が上がる道筋を従業員に明示する

賃上げは本当に可能なのか。可能だとしたら、具体的に何から着手すればよいのか。
松本氏は、会社の時間粗利がいくら高まったら賃金がどのくらい上がるのか、従業員に説明せよと説く。
「その際、『今期の売り上げが1億円になったら賃上げできる』とか『業績が4%上がったら賃金も4%上げられる』では、従業員はピンとこない。具体的にイメージできるよう、時間粗利と賃上げ率を示すことが有効だ」

多くの経営者は頭の中で、売り上げがいくらになったら賃上げが可能かイメージできているだろう。それを時間粗利に置き換えるのだ。

図C:「時間粗利」の求め方

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粗利益÷労働時間=時間粗利 例:粗利益(売り上げ-原価)が1,000万円 月労働時間200時間 従業員15人の場合 従業員の労働時間総計は3000時間。時間粗利は1,000万円÷3000時間=3,333円

最終的に目標とする時間粗利だけでなく、最終目標に至るまでの数字も示すと、従業員は見通しを持ちやすい。
以下の要領だ。

図D:昇給予定表

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昇給予定表の例。詳細は下記。
  • 前年度の時間粗利が3,000円の場合
  • 昇給率は全社の平均。S~Dは従業員の絶対評価。7~0の数字は昇給号棒数。等級ごとにピッチ額を定め、昇給号棒数とかけて実際の昇給額を決める。昇給率にベースアップ(ベア)率を足し、合計で賃上げ率とする
出典:ENTOENTOより提供の資料を基に作成

従業員の評価と業績(時間粗利)を示した上表を見れば、全社の時間粗利がいくらになったら、自分の賃金が何%上がるのか算出できる。
「経営者は毎日、難しければ少なくとも月1回は時間粗利を示し、『今は3,000円だけれど、来月は3,030円を目指そう』と説明する。これを聞くと従業員は、賃上げを自分事化して考えられるようになり、業績向上に向けて全従業員が一丸となって取り組める」

賃金上昇の見通し提示は、新しく入ってくる人材の安心材料にも、さらに人材の定着にもつながる。
「厚生労働省の雇用動向調査を見ると、毎年、離職理由の上位に給与や収入の低さが入っている。給与や収入が低いのを分かった上で入社したはずなのに辞めるのは、その会社で今後賃金が上がると思えないからだろう。経営者が賃金の引き上げを具体的に考えていると分かり、その道筋がイメージできれば、多くの人が『この会社でがんばろう』と思うようになるはずだ」

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